タキタキオンライン2回目にて新作初披露 | Show space

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絵本作家しょうみのりのブログです。

絵本のオンライン勉強会やってます。

 

2回目をやってみて、一言で言えば良かったです。

前半40分 後半40分

タイトなスケジュールなので、余分に話をしたりは難しいですが、それもあって、今回はオマケに感想会を設けました。

参加できる人だけで、ちょっとお喋り、交流できる時間。

はみ出し過ぎたので、次回は20分ぐらいに設定して、物足りないぐらいが丁度いい具合で続けられたらなと思います。

 

しかし、そこまでして、3回目の発表者を決めるの忘れてて、トンチキでしたけど(笑)

自分の新作披露と、その意見・感想、「こうしたらもっと良くなるかも!」のアドバイスを頂くのに力を持っていかれてました。

ごめんね。

 

深読み勉強で、絵本の名作を知る機会があるのはもちろん、その作品を見る他人の視点をシェアして貰えるのも学ぶことが多いですし、自分の作品を人に見て貰うのは本当に大事だと改めて痛感しました。

 

概ねお褒めの言葉を頂き、工夫の部分も反応が良かったので嬉しかったですが、一つ、大切な気付きを頂きました。

 

かなり改変してお伝えしますが

「なんで美しいものに汚いものを混ぜるの?」っと(笑)

 

美しい部分から始まって、美しい絵本かと読み進めたら、汚いものが出てくる、その落差は何の意図があってのこと?

というご指摘。

 

私としては、そこはごく自然に混ぜていたので、疑問にすら思っても無くて、そんな視点もあるかと新鮮でした。

ただ言われてみたら、確かに、そういうところが私にはあるなと。

静かな湖畔を描こうものなら、けたたましい騒音も混ぜてみたくなるのは何故だろうか。

 

で、ちょっと深層心理を深堀していくと、ありますよね。

そうなった原因が、育ちの中で培われている(笑)

食べれば排せつがあるし、生きれば死が訪れるかのように。

 

例えば、子供の頃、それは大きな綺麗な蜻蛉が葦の葉にじっと止まっているのを発見して、「わあ」っと思って捕まえようとしたわけです。

どうなったと思います?

首がポロっと勝手に落ちたのです。

まだ触ってもいないのに(笑)

 

目に焼き付いたのは、感動していた私の幼心を打ち砕く、エゲツナイ絵面ですよ。

 

他にもそういうのが沢山あってですね。、桜が風に乗って散る耽美な姿を「ほぅ…」と眺めて、花びらを目で追った先にあったのは、地面のゲリゲリうんちですよ。

 

ピンクの可憐な優美さが、一瞬で茶色まみれに。

しかも、そのウンチ自転車に踏まれたらしく、車輪のウンチわだちが道に続いていくっていうね。

 

もっとありますよ。まだ聞きます?

これも幼少期、美人さんが居てですね、子供が憧れて見とれちゃうようなお姉さんですよ……ネイルもキラキラしてて、「はあ~、大人(女性)って素敵だなあ」なんて思ってたら、彼女、鼻をホジホジし始めてしまってですね……たぶん中国の方だったのかな?(最近はそうでもないですが、当時の中国人にそういう衛生観念や清潔感などは無かった)

本当に若くて美人な方でしたけどもね。いい香りのする洒落た女性で。

 

まあ、そういう記憶が沢山沢山沢山あって、沢山沢山沢山、嫌な思いをしたあげく「現実とはそういうものだ」ってなっちゃったんですよね。

 

で、絵本は嘘ついちゃ駄目じゃないですか。

私の中で、子供に語る言葉や絵に嘘は無しなんです。

そんな誤魔化し要らないんです。

 

という思念があって、そうなったのかなと。

指摘一つでここまで理解が進むのも凄いですね。

 

そこまで行くと、次は描きたくなってきました。

「ただの美」「単に美しいものが続くだけの絵本」

描いてもいいなって思いました。

私の中にある、否定的な体験、絶望を超えて、幼少期に夢見たままの世界を絵本にパッケージしてみる。

 

やったことないですね。

したいと思ったことも無かったんじゃないかな……。

 

次はそういうの描いてみようと思うことができました。

そして私の中にそんなものが残っているとしたら、それはどんなものなんだろうか?と興味が出てきました。

ということもあり、タキタキの皆様には、とても感謝致します。

 

よし!

ということで、それとは別ですが、7月のスケジュール出しました。

6月は上手くいったので、7月も頑張ります。

のんの(我が家の猫様)のウィンク。

只今、老人性の皮膚の症状と、ノミと戦っております。

 

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