ポタラ宮→二荒山 | 光明庵 戸田照徳

光明庵 戸田照徳

真言宗 観音寺 執事
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画僧 仏画 教室
武道をたしなみます。

皆さまお疲れ様です。

今日は、男体山が見えたので、日光に絡んだお話です。

男体山こと二荒山と、チベット後期密教のダライ・ラマ師のかつて住んだポタラ宮は、実は語源が同じなんです。
なんと。

仏教では、かつて、天竺、インド南方ともいわれる山に、観音菩薩が降臨されました。

この降臨の地を、古代インドのサンスクリット語ではポータラカ、またはポタラカと申しまして、中国では補陀落山、ふだらくと訳されました。

勘のいいかたはお分かりでしょうが、観音さまの降りた地、ポタラカが原語になり、ポタラ宮、また、ふだらく山として日本に伝わり、観音さまを現す男体山、女峰山、太郎山のうち男体山を、ふだらく山からふだら山、二荒山となり、やがて二荒が音読みでにこう、世界の日光と呼ばれるようになりました。

つまりは、宇都宮にも二荒山がありますが、
二荒山神社のふたら、ふたあら、
チベットのダライ・ラマ師のポタラ宮のぽたら、

どちらも語源は、観音様降臨の地、ポタラカが語源とされるのが昔からの説でございます。

神社と観音様じゃやはり違う、なんて無粋なことは言っちゃいけません^_^。

日本は、古事記、日本書紀以前の、自然を神と呼ぶ時代があり、その後何々の命さまと信仰が生まれ、政治の風をあびながら、時の帝が神事を仕るようになり日本全体の神主となり、またその間、仏教、朝鮮からは八幡大菩薩が伝わり、明治の前までは分けず、自然の精霊、神、仏共に祭られ、人に拝まれることにより神格が高められました。

私は、色々苦労して密教にたどり着きましたが、
要は、何を信仰しているかでなく、

苦労して当たり前の人生の中で、

個人がいかに正しく、正しくとは、昨日まで間違った生き方をしていても、
今現在、自分のために、そして余力があれば人のために最善を尽くした生き方をしておられるかということかなとまあ、私は思います。

肩書きでなく、人に信仰や、生き方を押し付けるでなく、

死ぬ直前か、死んだ後に

おれ、やり尽くした

そう言える生き方ができれば、

10円玉一つ残らなくても、百点満点の生き方ではないかなと、現段階では私はそう思うわけであります。

合掌