今日は個人情報についての感想。避難所には未だに1日に2~3人くらい消息を確認しに来る人がいる。
訪ねて来た人には大抵分かっている事は伝える。いつまではいたが、いつから仮設のどこどこに移った。紙ベースの台帳を見せながらの回答である。また、分からなければ本部に確認し伝える。
そんななか昨日はこんなこともあった。例のごとく消息を確認しに来た人がいた。その人は小綺麗な格好をした男性2人組であった。探しに来た相手は以前までこの避難所にいたが、現在は仮設に移住していた。
その際釜石市職員に勘が働き、今ここにはいない。どういう用件かと尋ねた。
その人は素直に答えた。自分は借金取りで被災者である。本意ではないが、被災した人たちの消息を確認してまわっているとのことだった。
最終的に避難所にはいないという情報のみでその2人は帰っていった。
その後釜石市職員に震災時の個人情報の取り扱いについて尋ねてみた。知っている人や老人、言葉や身なりで教えるかどうかを判断しているとの事だった。

被災者からも興味深い話を聞けた。現在避難所で生活する方は仮設に移る目処が付いていない人たちだ。知り合いに仮設に移った人がいるが、避難所より暮らしが悪いようだ。職が少なく生活が成り立たないようである。また、仮設に移ると市職員と接する機会、情報を入手する機会がめっきり減ってしまうそうだ。
また、仮説ではなく、新たに家を持とうとする人にも苦労がある。釜石市の沿岸部には新しい家が多い。もともとの古くからの家はどちらかといえば山の方にいて、それが徐々に沿岸部に降りていったそうで、そういった家庭にはローンが残っている。その人の知り合いは1階のみ影響を受けたようだが修繕に1,000万ほどかかる。また、今回の地震、津波により地盤がかなり下がっており、1/3の津波で同じような影響が出ると見通されている。今後の政策もまだ発表されず、被災者は身動きが取れない状態のようだ。




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今日もまた、肌寒い1日だった。

今日は仮設に移る方がいた。お母さん(60代?)と息子さん(30代?)の2人だ。最初からそういった世帯だったのか、震災の影響でそうなったのかは不明だが、しっかりしたお母さんと寡黙にこなす息子さんで、これから新しい生活がより良いものになればと願う。仮設に移る際には、今まで一緒に生活してきた方々に挨拶をして廻っていたが、嬉しそうな表情はしていなかった。何故なら、周りに残っている方々はまだ仮設の抽選に当たっていない方だからだ。

また、今日も被災地の現況を視察しに釜石市の隣の大槌町に赴いた。そこは津波の被害はもちろんの事、津波の直後に火災が発生し山火事にまで拡がった地域である。その為瓦礫も残っていない。現地の方が「空爆に遭ったようだ」と言っていたがその表現が最も適切だと感じた。


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今日は昨日とはうってかわり、グッと気温が下がった。

今日は狛江市の消防団がお昼に焼き肉、焼きそば、豚汁を振る舞いに0泊2日の弾丸ツアーで訪れた。高齢の方が多い避難所では、焼き肉よりも豚汁の方が喜ばれるようだ。

その後空いた時間に被災した地域を視察させて頂いた。リアス式海岸の地域であるため市内に数ヶ所の湾が
ありどの湾にも大きな防御壁があった。しかし、どの地域に行っても
「この防御壁を越え津波が侵入しました」
の言葉。その先には見るも無惨な瓦礫の山、瓦礫すら残らず家の基礎のみのところもあった。骨しか残らない家、ぺちゃんこな車、それが当たり前のようにそこにある。

中でも驚いた光景は、地元の林業を営む業者と警察官が重機で行動していた。
「林業をやっている人たちは重機の扱いが繊細だから瓦礫撤去と同時に遺体の捜索を行っている」
そう伝えられた。今歩いているほんの数メートルの瓦礫の下にまだご遺体が埋もれている、震災から3ヶ月以上経った今日も市内に数百人の行方不明者がいるという事実。

また、避難者からこんな話も聞いた。
「俺はもう地元の魚は食えねえな。その魚はうちのばあ様を食ってるかもしれねえから」
返す言葉がなかった。

目の当たりにする事実にただ驚き、悲しむばかりである。


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