今日は最終日。明日の朝引き継ぎをして、業務終了。総括は明日記すとして、今日あった出来事。

避難所の方の息子さんが、東京から泊まり掛けで避難所に来た。おじ、おば、妹の行方が未だに不明らしい。朝早くに着きバイクで瓦礫の山に向かっていった。
お母さんはこう言っていた。
「今、仏様が出てきても骨しか残らない。身元の判別は難しく、身長のみで判断している。いたこさんに頼んで娘が海にいるのか丘にいるのか聞いてもらった。娘は海にいるというから、浜に上がった仏様は見てまわった。今も瓦礫の山からは仏様が上がる。重機の爪で引っ掻いてる中に、重機のキャタピラーで踏みつけているその下に、誰かがいるかもしれない。瓦礫の撤去は早く進めてほしいが、仏様のこともある。私が撤去作業を見つめていると『この下に誰かいるのか』と休憩中の作業員の話す声が聞こえる。見てたらやりづらいのは分かる。ボランティアや作業員の方に来てもらってありがたいし、邪魔したくないが、見ていたい。」
また、こんな言葉もかけてくれた。
「あなた達が来てくれて、感謝している。あなた達は善意と勇気を持って来てくれた。前世や来世にマイナスがあったとしても、今世のあなたの行動がとてもプラスだから大丈夫。あなた達の今後の人生にも必ずプラスになる。ありがとう。」
涙を浮かべて語ってくれた。とても、感慨深く、ありがたい。

今日釜石市職員に私は高校まで水泳をしていたと話すと、今、小学校は水泳の授業をしている。先生に話してみる。と拒否する間もなく話が進み、5、6年生の6時間目の授業を水泳に変更し、見本を見せることに。個人メドレーと飛び込み、クイックターンなどを見せた。また、生徒たちに指導してほしいと言われ、泳いでいる生徒の問題点を指導したりした。

喫煙所や空いている時間帯に避難所の方との交流、釜石市職員との交流、小学校の生徒との交流、最初の頃は難しかったがやっとここでコミュニケーションが取れてきたのに、最後なのがちょっぴり残念。だけど、疲れた。明日帰ります。

あっ、余震だ。


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今日はあまり事件もなく平和な1日だった。

復興の様子はというと何もない港で漁師が網を直していた。トラックで散り散りになったブイを集めていた。多分養殖のための道具だろう。早く元の生活を取り戻してもらいたい。

道路を走っているとリアス式海岸の地域で港からすぐが山の地域である。その為トンネルも多い。一部のトンネルには照明が全く付いていないものがあった。

炎天下の中、自衛隊の炊き出しに長蛇の列を成していた。これから更に暑くなると予想されるが水分補給の徹底の必要がある。また、避難所には個人が使える冷蔵庫がない。冷たい飲み物は学校外の自動販売機から入手しなくてはならない。



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釜石港付近に視察に行った。やはり復興しているとは言いがたい状況であった。釜石漁港は金魚の腐った匂い。3,000トンのタンカーがうち上がっていた。
また、我々の目の前で震災の影響による二次災害が発生した。信号が壊れた交差点で、直進するトラックが直進する軽自動車の側部に衝突。トラックの時速は40km/h以上で軽自動車は横倒しになり10mくらい跳ばされた。トラックは復興支援の車両で、軽自動車は地元の車両だった。

避難所では仮設住宅に当選した方がいた。その方はこの避難所のリーダー的存在の女性で息子さんと2人でいる。食事係でその日の我々が用意するレトルトの献立を見て、支援物資の調理が必要なもの(主に野菜)で味噌汁や副菜を調理してくれている。この避難所の中心人物である。その方の当選が決まり、今後その方は仮設に移る準備を進めるが、この避難所においてその方が先に抜けるのは痛いと思われる。

トラブルもあった。昼間避難所に残っているのは高齢者が多い。その方々が靴箱の清掃をしていた。他の方が避難所に戻ると自分の靴が無かった。後で判明したが、掃除の際に違う場所に移しそのままにしてしまったようだ。一瞬ピリピリとした緊張感が避難所に走った。その方は避難所の共有のスペースには個人のものを置かないようにしてしまったようだ。この避難所は距離感がなく、個人のスペースにも衝立等はなく、複数の世帯がひとつのスペースを共有している印象だったが、やはりブライベート、プライバシーは必要で少しでも均衡が崩れれば崩壊の可能性が大いにあると感じた。



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