資本主義においては強い欲望こそが必須の要素と考えられているようですが本当でしょうか?
他人より良い生活をしたい、富を得たいというようなものから、
社会をよくしたいとか、困っている人を助けたいとか、自身の作る製品を広めたいとか、色々な欲望がこの資本主義社会では必要なんだ。
そういう欲望がなければ、ヒトは努力せず、社会は停滞する。
のんびり暮らす「のび太」ばかりでは、社会は維持できない。
そういうことなのでしょうか。
確かにやる気のなさそうなヒトに支援をしてくれるヒトはいなさそうですし、支援してくれる銀行もなさそうです。
ただ、社会の維持の仕組みとしては、事業の継続や新規事業の開始のニーズはありますので、皆がやる気がなさそうなのでしょうがないという訳にもいかないようには思います。スティーヴ・ジョブズが一人もいなくて、「のび太」ばかりの社会でも回ると言えば回るんじゃないかと思うのですがどうでしょうか?
社会のニーズが語り合われていて、その経過と結果が明確で、それをデジタルに判断する社会なら、「のび太ばかりの社会」でもやっていけるんじゃないかと思うのですが…。
現在は社会のニーズが不明確で、その都度恣意的でアナログな判断が事業の継続や起業の妨げとなっているのですが、社会のニーズを冷静にデジタルに判断していけば社会に必要な事業なら永遠にサポートすべきでしょうし、そうなるとジョブズはいなくても、皆が「のび太」でもやって行けるのではと想像するのですが、それも幻想なんでしょうか?