誰から教えてもらったかは記憶にないが、ヒトの生きる意味は、自分の後に生きるヒトに、より良い世界を提供するためにある。
と、思っていた。
畏れ多い言い方ではあるが…。
より良い世界を提供するためにできることは、主に二つある。
一つは、より良い「言い伝え」を残すことである。言葉やルールや法律などもある。自分の意見を言うこともその一部である。
もう一つは、より良い「見た目」を残すことである。製品や構造物や状態などもある。清掃などもその一部である。
世界は、「言い伝え」と「見た目」で、「システム化」されているからである。
これは、誰かから聞いたか、主観か覚えていない。
「言い伝え」は、誰も言い伝えなければ、誰も聞かなければ消えてしまう。
「見た目」は、誰も見なければ、誰も意識しなければ消えてしまう。
また、どちらかだけでも、存在できない。両方が存在して、存続できる。
ヒト一人ができることは限定的だが、それは「良い世界」を作ることにつながっている。そう考えていい。
ただ、その「良い世界」っていうのが、色々な考え方があるんじゃないかという意見があったのだが…
国連のSDGsは、まだまだ正解というには訳にはいかないが、そろそろ定義できるような知見はそろってきたんじゃないだろうか。
例えば、生物多様性保全に関して言えば、益虫や害虫もいるが、どちらもいた方がいいというのが、そろそろ結論として見えてきた。
人種や思想もそうだろう。選民思想は間違いで、全ての人種や部族や思想はあった方がいいというのが、その結論だろう。
より良い世界を残すために、意見を述べ、判断し、物を作り、壊し、磨き、眺めれば、それが自分の生きる意味と思っている。
違うのかな?