企業の定義は利益を産む組織で、社会の公器や社会に貢献する組織というのは一部の理想的な経営者は目指しているかも知れないが基本は空論であった。しかし、2030年や2050年に向かう状況では、利益を上げていれば、存在し続けられるという訳ではないように思う。
つまり、現在、政府や環境省等の行政機関は、各企業への利益を配分する形で気候変動対応を考えているように見える。しかし、冒頭から述べてきたように、自動車を売りまくって、道路を作りまくって、信号を置きまくって…という社会は2030年や2050年を前にして考え直さざるを得ない、機会ロス、自然ロス、資源ロス、ヒト社会の負担が大き過ぎるのだ。
近年、日本で売り上げ上位と言えば、自動車産業、商社、全国規模の小売業などである。
冒頭から述べてきた私の気候変動対応策からすれば、未来の斜陽産業である。ただ、私は、現在、儲けている企業を潰したい訳ではない。むしろ、景気の良い企業にこそ、冒頭から述べたような日本が幸せになる気候変動対応を先導してもらいたいと思っている。
また、これからの組織が守るのは人材ではなく、組織の持つ文化であると思う。ましてや製品でもない。社会に貢献する製品を様々な人材を流動的に活用して達成する。具体的には、現在の大企業と中央政府の関係ではなく、企業と「スーパー・レジリエント・シティ」との密接な関係が重要視され、ヒト・資源・文化・金融・健康管理・エンタメ・スポーツなど多くの関係性を持つことになる。そして、人材は流動的に役割を変え、個人として能力を最大限に発揮し、社会として「スーパー・レジリエント・シティ」は他の「スーパー・レジリエント・シティ」と競って「幸せ」を求めるのだ。
さて、「幸せ」とは、「幸せのプロセスの実践」である。
「幸せのプロセス」とは、「幸せの定義」、「幸せの見える化」、「幸せの記憶」、「幸せの記憶に沿った追体験とその記憶」という段階の繰り返しである。同じように、「不幸せのプロセス」とは、「不幸せの定義」、「不幸せの見える化」、「不幸せの記憶」、「不幸せの記憶に沿った体験とその記憶」という段階の繰り返しである。そして、今、私たち日本人は、「不幸せのプロセス」を実践していることの方が多いのかもしれない。世界全体で言えば、1%の幸福な経済状態であるにも関わらず。
企業は、自らのミッションを常に検証し、自らの文化を練り上げることが必要である。守ればそれですむものではない。常に、自らの資源を使って、何を社会に提供するのか、何を提供したいのか、企業の社員全員で悩み、実践することが要求されるように思う。むしろ、社外の周辺住民から、また、「スーパー・レジリエント・シティ」から、企業の解体や脱皮や変態が促されているくらいに、企業は自由な存在になるべきではないだろうか。企業は、経営者のためにあるのではなく、「スーパー・レジリエント・シティ」のためにある、そういう状態が理想である。
株価が上がるのが、企業の目標ではない。企業の社会貢献が実態を持って、「スーパー・レジリエント・シティ」からの感謝があってこその存在、その存在こそが企業が目指すべき目標となるのではないだろうか。