日本のわかりやすい強みは「技術」である。

教科で言えば、「大学受験のための数学と理科」ではないだろうか。世界と比べてもレベルが高いのではないだろうか。逆に言えば、幼少時から数学と理科は勉強しすぎかもしれない。言い換えると、青少年への学校教育の中で、産業に役に立っている教科が「数学と理科」くらいしかないということのようでもある。小学生相手に、厳しく宿題を与え、フォローし、多くの生徒は挫折するくらいまで授業で教育し、それでもついてきた生徒が単位を取得する。それが数学や理科である。宿題の量や教師の圧力も強い。ただ、その数学と理科による労働で日本企業は利益を得てきたという歴史は確かなものである。


 また、現代の教育でまず必要な科目は「自然」である。

その自然には「ヒト」という生き物への理解にもつながるものであり、武器となる数学や理科をヒトを含む自然への成果へと結び付けなければならないと思う。


 次に、「社会」や「ヒト」を社会生活で学ぶ必要がある。それが、将来のマーケティング能力につながる。日本はガラパゴスな技術で、中国や韓国や台湾のマーケティングに基づく技術に凌駕された。しかし、やはり未だに技術だけで見ると日本が上回る部分は多いように見える。「自然」と「社会」と「ヒト」を学んで、皆で議論して、見える形にして、「数学」も「理科」もよくわからない人とも語り合って、さらに「夢の技術」を開発できるようにしていくべきだ。


 それには、一から作る体験を皆でやるべきである。日本では多くの人が参加する議論や検討の場を体験する機会が圧倒的に少ないと思う。今まで見たことがないような新しい「スーパー・レジリエント・シティ」を作り上げるような技術を活かす体験をすべきではないだろうか。


 そして、「技術」を全ての人が色々な角度から(例えば、アートや音楽)、学び、働き、また、学ぶというサイクルでより優れた技術を身につけ、ビッグデータを活用し、世界に貢献するのだ。


 これからは、得意な数学や理科を活かして、社会のイノベーションを起こし、他の国への売り込みをかける資産とすべきである。それを、より安いコストで実現できたとしたら、日本は世界から期待される国であるだろう。