日本では、大学や環境省や地方公共団体などで調査や研究に携わる専門家がいる。自然の活用という意味では、バイオや薬学や工学、さらに海洋や獣医学なども専門家と言えるだろう。しかし、その取りまとめ機関は環境省というリーダーシップを発揮しにくい機関である。企業でも、行政でも、環境保全は主流の機関ではない。よって、重要な判断が主導できていない。


 安全保障の判断はできないが、沖縄基地での埋め立てや、近年、日本全国で開発が進んでいる太陽光発電や風力発電や廃棄物処理場等、環境上また自然配慮に専門的な知識や調査が必要な判断がしっかりなされていないのは大きな問題である。やはり、自然の専門家や調査員を大量に増やし、その知見をスマートなシュリンクに生かし、積極的に生き物が棲むサンクチュアリを拡大すべきである。


 当面は2030年までに30%という目標を超えて、本当の意味でのサンクチュアリを組織的に計画的に予算を掛けて、50%程度までは増やしていきたいように思う。調査員としては、青少年のボランティアやリフレッシュする青少年や中高年や高齢者が積極的に参加できるようにすべきように思う。


 また、そういう活動を青少年や中高年が職業として選択できるようにすべきである。

動物園や水族館でなく、自然な状態での調査や研究がなされるべきだろう。ある意味、動物園や水族館は動物に対する殺傷行為のようなものである。監禁のようなものである。自然は保有する資産ではない、自然の状態こそが保全されるべきである。


 また、愛玩動物のあり方も考え直した方がいい。

ペットとして支配している状態を、可愛がることと勘違いしているように見える。

ペットとなった犬や猫には、その何倍もの数のペットになれなかった犬や猫がいて、処分されていることを前提として考えるべきだと思う。さらに、飼育できなくなって殺処分になる。また、それ以上に、道路で事故死している野良犬や野良猫がいる。そういったことをベースとして、ペット業界は成り立っていることは十分に認識していた方がいい。少なくとも、可愛がるだけのペットは、動物としての存在意義を蹂躙されていると思う。動物として自然に役立つような生き方を尊重すべきように思う。


 そうして、自然保護や管理は透明性を持った議論により、検証されつつ、その効用を最大化し、ヒトがそれで幸せになっていることを確認しつつ進めるべきであろう。