梅雨にはやっぱりタオルが要るとちょっと怖い顔で幸男さんは言った。
「元々、日本は豊かな国だあな。3割の平地に多くの日本人は暮らし、山や海の恵みを受けてたんやろな。奈良、京都、鎌倉、名古屋、大阪、江戸等。地域の皆で助け合って、助け合わされて、食べ物を準備しつつ暮らせてきたんだろな。ずっとな。地域には長老や壮年や青年や少年がいて、皆それぞれが地域ん中で、また家族の中で役割があったんやろな。それをすっかり忘れて、第二次大戦後の日本人は個人の権利の尊重ばかりで、地域社会や血族集団を忌み嫌う独り住まい社会ばかりが浸透してるわな。韓国もそうやわな。すごく似とんわな。」
◆多様性や基本的人権に関する雑多な課題
多様性について言えば、「小さな差異を過大に気にする」ことは幸せな方向ではないように思う。「大して変わらない」と捉えるべきである。まして、意思を表明できる人間なら、皆同じ人類であり、主体的に世の中をよくしようとする仲間と認識できる日本というシステムであって欲しい。
意思を表明することが困難な人は主体的に社会参加することは困難かもしれないが、世の中をよくしようとする気持ちがあるなら「仲間」であり、もし、反社会的行動は罰せられるべきだが、人類という存在としては「仲間」である。基準は地球であり、それは明文化し、繰り返し目にして、思い出すようにすべきである。
もし、体が不自由だとしても、頭が働き、意思表示できるなら、働けるし遊べる。恋愛もできるし、世の中を変えられる。夢が持てる。そういう社会であるべきだ。
そういう仲間とコミュニケーションを取り、皆が効率的に自己の能力を発揮することで、日本は競争力を持てる。
ついでに言えば、税金を多く納めた人が偉いわけではない。世の中に対して、いい事を言った人が偉いくらいの評価がちょうど良いのだ。
13ー難しい言い方になるが、いい階段といい格好した階段は全く異なるものである。ただし、似ていることもある。難しいが、わかって欲しい。 40ー階段を滑り降りるセイウチを見たい。そこを流れ落ちる虹色のジェルも見たいけど。
梅雨は嫌いと言っていたリリーは案の定不機嫌だったが、私はそれが不快ではなかった。キッパリ言った。
「おひとり様でも生きていける社会もいいけど、それは同時に地域で誰も社会に参加しない余裕のない社会にしてるのも事実よね。また、個人は自分の役割を見失い、自分が生きている価値を見失いやすいよね。
一人の不幸や不満は、社会の不幸として見えにくいわ。お一人様の孤独は消失しなくて、解決もしない。それで、社会の効率も悪化して、社会の費用は増大するわ。」
76ースーちゃんは、自分の身体に階段を持っている。そこが魅力だ。三つはある、五つかもしれない。いや、七つかもしれない。一つも持っていない人もいるのに。
図.11 幸せな社会とは?
ー鷹揚な社会
ー「違い」を気にする社会ではなく、気にしない社会
ー日本に住んでるなら、だいたいみんな日本人
ーLGBT、国籍変更、独自の生き方;全てOK