日曜の朝、神社には、それほど切羽詰まった感じでない人が多くいた。私もその一人だが。
絵馬を覗くと、大人から子供まで色々な願いがあった。
○○レンジャーになりたい。
というのは、願いではなく、クリスマスプレゼントの希望だと、今になって解る。
厄除けの絵馬を覗くと、色々な厄介事が溢れていた。
手術やリハビリや病気など。
そういうのを見ていたら、医者と神主がダブって見えた。
厄介事は確かに厄介だが、日常でもあるように感じた。
誰にでも起きる事。
人は100パーセント死ぬんだし。
厄介事をどう捉えて、対応するかは人それぞれ。
ざっくりした言い方になるが、私は10万人に1人の確率で起こるリスクはほとんど気にしないようにしている。
まあ、飛行機事故で死ぬ確率くらいだろうか。
だから、今の新型コロナ感染は、数千人に1人の確率で感染するから、一応気にするし、対応する。
そのくらいだ。
ウィズ コロナ で、どうするか。
どうしっかり、効率的に(ヒトの感情も含めて)対応するか。
そういう事で、それ以上でも、それ以下でもない。
そういう日常だ。
そういう日曜だ。