山腹に巨石の奥の院がある神社(岩屋神社) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

レレレの行ってみたらこんなとこ!

散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(3月31日のこと)です

花山稲荷神社を後にして、今度は外環状線を越して、東側へ向かいます
以前、奈良街道を走っていたら、道路沿いに看板を見掛けて気になっていた神社へ向かいます
住宅街の中に無料の駐車場を見つけました
そこから少し行くと白壁が見えます

岩屋神社

住所・京都市山科区大宅中小路町67
別名・岩屋大明神
旧社格・郷社
御祭神・天忍穂耳命・栲幡千々姫命・饒速日命
駐車場・無料のがあり

駒札(境内にあります)
岩屋神社
  天忍穂耳命、栲幡千々姫命の夫婦二神と、その皇子・饒速日命の親子三柱を祭神とする。
  本殿背後の山腹に陰厳・陽厳と称する一対の巨岩があり、そこに神が降臨すると考えられていた古代に、これを盤座として祀ったとこが始まりと伝えられている。社伝によれば、仁徳天皇31年(343)の発祥とされ、境内から奈良時代以前の土器が出土している。後年、宇多天皇の寛平年間(889〜898)に陽厳に天忍穂耳命を、陰厳に栲幡千々姫命を、また、岩前の小社に付近の大宅氏の祖神として饒速日命を祀った。社殿は治承年間(1177〜1181)に円城寺僧徒により焼失されたが、弘長2年(1262)に再建され、今日に至っている。現在、山科東北部における産土神である。
  京都市
(原文のまま)
補足
陰厳の上には小さな窪みがあって、その中の水は枯れることがなかったといい、これを龍闕水と呼び明神の霊水として尊重した
(京都大事典参照)

その横にも解説があります
「岩屋三社」の一つ
岩屋神社
 奥之院、または岩屋殿と呼ばれる本殿背後の山腹に座す陰陽の両巨岩を根源としています。これは、現在のような定まった社殿のなかった時代の磐座信仰の姿をとどめています。奥之院に続く参道等の整備に伴い、 数十基の鳥居が奉納されました。
主な行事
4月29日 春祭(例祭) 
10月第三日曜日 秋祭・御神幸祭
磐座信仰とは
  磐座信仰とは、巨岩に対する日本に古くからある自然崇拝の一つです。中世、山科盆地には、東、西、上の「岩屋三社」と呼ばれた神社があり、山科地域住民の鎮守神的信仰を集めていました。岩屋神社は東に当たる神社であり、西は山科神社です(上は現在のところ不明)。
(原文のまま)

参道正面から

社号標

狛犬


狛犬と桜

桜と神門

鳥居
桜がもっと咲く時期には、この辺りはもっと華やかになりそうでしたひらめき
少し早かった😅

神門くぐると、拝殿?

中見てなかったけど絵馬殿だったのかな?🤔

右手に手水舎

その奥に大きな木がありました目がハート

区民の誇りの木 クスノキ

とても大きくて立派な木でしたおねがい

角度を変えて😁

幹や枝もこんなに立派です指差し

こっちが拝殿!?😅

拝殿?の左前に先に紹介した駒札とかがあります

拝殿右側にも通路があり、本殿囲んだ周りを歩くことが出来ます

境内の様子を動画で撮ってみました


本殿の周りには祠

蛭子宮

御祭神 蛭子大神

左側通路の奥には両宮 大神宮(伊勢神宮)
御祭神 天照坐皇大御神(内宮)
             豊受大御神(外宮)

左側通路の手前に稲荷宮

その隣に2つ祠があります

手前の八幡宮

奥の右から天満宮・山王宮・住吉宮

アップで

そこにはこんな小さな狛犬がいましたニコニコ

ちょっとピンぼけってますがww

その先へ行くと、こちらの案内があります

で、出たとこにも鳥居

まだ時間があったので、軽い気持ちで奥の院を目指してみましたニヤリ
だいたいが軽い気持ちで行動するとろくなことはありません🤣

この後、以降の記事のことが続いてから、戻ってきて、いい時間になってたので、その時に久しぶりに御朱印を頂きました(笑)
こちらの御朱印(300円)です

由緒書き




この辺りのこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ