前回からの続き(3月30日のこと)です
上賀茂神社の次に行ったのは、ブロ友さんがアップされてた車折神社(くるまざきじんじゃ)
こちらは以前訪れています
社号標
その横に駒札
車折神社(くるまざきじんじゃ)
平安時代末期の儒学者、清原頼業公(1122〜1189)を祀る。
社伝によれば、後嵯峨天皇が、牛車に乗ってこの社前を通ろうとした時、突然牛が動かなくなり、車の轅(ながえ・引棒)が折れたことから、車折神社と呼ばれるようになったといわれている。昔から学問の向上、 商売繁昌、売掛金回収に御利益があるといわれ、社務所で授与された小石に祈願を込め、家に持ち帰り、 願いが成就したらお礼の石を一個添えて神前に返納するという慣しがある。
境内には、芸能道の祖神といわれる天宇受売命を祀った「芸能神社」があり、古来、芸能上達を祈願する人に厚い崇敬を受けている。また、当社の宮司 でもあった富岡鉄斎の「筆塚」がある。
毎年五月の第三日曜日に行われる「三船祭」では、 新緑の嵐山大堰川に、御座船をはじめ、龍頭船、 鷁首(げきす)船、扇流し船などの多くの船を浮かべて、平安時代の優雅な風情を再現する。三船の名称は、白河天皇が、漢詩・和歌・奏楽に長けたものを三隻の船に分乗させたことによる。 た
京都市
(原文のまま)
平安時代末期の儒学者、清原頼業公(1122〜1189)を祀る。
社伝によれば、後嵯峨天皇が、牛車に乗ってこの社前を通ろうとした時、突然牛が動かなくなり、車の轅(ながえ・引棒)が折れたことから、車折神社と呼ばれるようになったといわれている。昔から学問の向上、 商売繁昌、売掛金回収に御利益があるといわれ、社務所で授与された小石に祈願を込め、家に持ち帰り、 願いが成就したらお礼の石を一個添えて神前に返納するという慣しがある。
境内には、芸能道の祖神といわれる天宇受売命を祀った「芸能神社」があり、古来、芸能上達を祈願する人に厚い崇敬を受けている。また、当社の宮司 でもあった富岡鉄斎の「筆塚」がある。
毎年五月の第三日曜日に行われる「三船祭」では、 新緑の嵐山大堰川に、御座船をはじめ、龍頭船、 鷁首(げきす)船、扇流し船などの多くの船を浮かべて、平安時代の優雅な風情を再現する。三船の名称は、白河天皇が、漢詩・和歌・奏楽に長けたものを三隻の船に分乗させたことによる。 た
京都市
(原文のまま)
表参道を行くと境内の入り口がこんな感じ
ここを少し行くと
駐車場の看板があります
これね
ここまで車で入れるようでした
駐車場がよく分からなかったから、コインパーキングに停めてきたのに
駐車場の看板の裏にある愛宕社
その上には先ほどから見えてた桜
車折神社には、少なくとも15種・40本の桜があるということです
そんなに桜がある神社もは思いもしませんでした
その辺りも桜が咲いてました
入り口辺りはこんな風に桜が割りとありました
しだれ桜も
当社の御祭神清原頼業公と同族の平安中期の女流文学者清少納言は「枕草子」の筆者として著名であるがその生没年、墓所等定かでないので清原氏ゆかりの当社に祠(ほこら)を築きその御霊(みたま)を祀ることにした
(原文のまま)
今やってる大河「光る君へ」にも登場してますね
演じるはファーストサマーウイカ
その前には有名な芸能神社があります
芸能神社
天宇受売命(あまのうずめのみこと)を芸能・芸術の祖神として祀る
(原文のまま)
こちらで有名なのはご利益だけでなく、その周りにある玉垣
先ほどから画像にもあるように、有名芸能人の名前が書かれたものが数多く奉納されているからです
本殿の鳥居の右手にあったのが、目的だった渓仙桜(けいせんさくら)
詳細記事は次回に
裏参道を京福嵐山本線側から
渓仙桜が奥に写ってます
鉄道側もチラホラと桜がありました
裏参道の入り口の鳥居
神社側から撮ってませんが、すぐそこに京福電鉄の車折神社駅があります
狛犬と桜
反対側
こちらの狛犬はたまに見るオリエンタルなものです
次回は車折神社の渓仙桜のことです
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ