都度訪れている上賀茂神社 | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(3月30日のこと)です
(画像は一部翌週に行ったものも含まれています🙇)
上賀茂神社へは去年も行っていて詳細記事はアップしてますので、今回は簡単に
総集編を作りかけていましたがそのままになってます😅
一の鳥居

桜を見て、二の鳥居をくぐり、細殿(重文)

そこには今年のちなむ龍の絵が奉納されているようでしたひらめき


この時の手水舎はこんな感じ( *´艸`)
桜仕様でした!爆笑

楼門(重文)

手前にある樟橋

楼門前にある玉橋(重文)


楼門を内から

弊殿(へいでん・祈祷殿・重文)
寛永5(1628)年造替
重要文化財
檜皮葺、入母屋造
宝永5(1708)年、大火により内裏が炎上した際、上賀茂神社が行在所(あんざいしょ)になったそうです
その時、三種の神器がこの弊殿に奉安されたということですあんぐり

中門(重文)
寛永5(1628)年造替
檜皮葺、切妻屋根の四脚門
本宮への入り口となる神門
両側に東局(ひがしのつぼね)と西局(にしのつぼね)が建てられている
通常はこの門からは入れません
ただ、初詣期間中はこの門から入り、祝詞舎前で参拝出来ると書かれてたけど今もかな?🤔

その東局(重文)と中門前にある棚尾社(たなおのやしろ・重文)
東局(ひがしのつぼね)
檜皮葺、入母屋造
御籍屋(みふだのや)とも言われる
現在は主に神前結婚式の式場として使用されているとか!?

棚尾社(たなおのやしろ)

御祭神 櫛石窓神・豊石窓神

末社

中門が造られたときに、門を守る門神(かどのかみ)として祀られたと云われる

現在の建物は寛永5(1628)年造替時のもの

この社は御阿札(みあれ)神事の際に重要な役割を果たす

(以上、緑の部分は京都・世界遺産手帳 上賀茂神社参照)


楼門の先にあるのが片岡橋(重文)

その橋を渡ると、左手に片山御子神社(重文)があります

解説
賀茂別雷神社

第一攝社

片山御子神社
祭神  玉依比賣命  一柱一座
  延喜式内の古社である。『延喜式』には、「片山御子神社 大、月次、相嘗、新嘗」と載せている。賀茂縣主族の祭祀の權を握って居られた最高の女性、本宮御祭神別雷神を感得せられた神で、常に別雷神の御側に待ってお仕え申し上げておられたのである。よって現在にあっても本宮恒例の祭祀には、先づ当神社に祭を行う例となっている。それは只今より御奉仕申し上げる本宮のお祭は、御祭神の御名によって、お仕え申し上げる由を、予め奏上せんとする意味から行うのである。
  古来第一攝社と崇められている。事情かくの如くであるので、皇室の御崇敬も厚く、本宮へ行幸、御幸等の場合は当社へも奉幣あらせられることが屡々あった。天正19年6月11日正一位を奉られている。古く当社の後ろに「よるべの水」を湛えた甕が三個あったが、天正年中汚穢の禍を怖れ?て地下に埋没したという。
(原文のまま・怖れの部分は読めず)
上賀茂神社にある摂末社の24社中、第1位の位置を占める摂社
本殿手前にある拝殿も重要文化財びっくり
それも摂社なのに割拝殿
(京都・世界遺産手帳上賀茂神社参照)

その下にも解説
こちらは紫式部も詣ったということなんだそうですびっくり
現在の大河が始まった頃には、主役の吉高由里子さんも訪れられてたようですニコニコ

御物忌川を下ると、御手洗川と合流します

その先の左手に歌碑があります



駒札
紫式部の歌碑で、先ほど解説にあった歌が書かれています
ほととぎす 声まつほどは 片岡の
   もりのしずくに たちやぬれまし
こちらの歌碑と駒札は前からあったものですひらめき

最後に2週目に行ったときに、楼門周辺で撮った動画です


次回は上賀茂神社の橋ことになります
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ