相国寺にある境内社(宗旦稲荷社)(弁天社) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(1月6日のこと)です
法堂から東へ進むと、左手に鳥居があります
弁天社
歴史など
江戸時代中期(17世紀後半)頃に造営
京都御苑内にあった久邇宮(くにのみや)邸の守護神として祀られていた
明治13(1880)年、久邇宮家が東京に移る際、相国寺第126世・獨園承珠(どくおんしょうじゅ)久邇宮朝彦親王から寄進される

本殿
春日造桟瓦葺

その先には鐘楼 (洪音楼)
天明の大火で焼ける
寛政元(1789)年、4月古鐘を買って仮楼にかける
天保14(1843)年、現在の層楼を築成
「袴腰付鐘楼」とも言われる
京都府指定有形文化財
(以上解説は相国寺HP参照)

その先の横には宗旦稲荷社があります

参道を進むと鳥居があります

本殿

駒札
宗旦稲荷の由来
  江戸時代の初め頃、相国寺の境内に一匹の白狐が住んでいた。その狐はしばしば茶人・千宗旦(1578〜1658)に姿を変え、時には雲水にまじり坐禅を組み、また時には寺の和尚と碁を打つなどして人々の前に姿を現していた。
  宗旦になりすましたその狐は、近所の茶人の宅へ赴いては茶を飲み菓子を食い荒らすことがたびたびであったが、ある時、宗旦狐は相国寺塔頭慈照院の茶室びらきで、点前を披露していた。驚いたことにその点前は実に見事なもので、遅れてきた宗旦は、その事に感じ入ったという。これも、宗旦の人となりを伝えた逸話である。 
  その伝承のある茶室「頤神室(いっしんしつ)」は現在でも慈照院に伝えられている。茶室の窓は、宗旦狐が慌てて突き破って逃げたあとを修理したので、普通のお茶室の窓より大き くなってしまったという。
  宗旦狐は店先から油揚を盗み、追いかけられ井戸に落ちて死んだとも、猟師に撃たれて命を落としたとも伝えられている。化けていたずらをするだけでなく、人々に善を施し喜ばせていたという宗旦狐の死を悼み、雲水たちは祠をつくり供養した。それが今でもこの宗旦稲荷としてのこっている。
  相国寺
(原文のまま)

神使の狐


本殿のアップ

相国寺は、またいずれ訪れることがあると思うので、それ以降に総集編が作れたらと思っていますニヤリ
次回は冬の旅で行ったお寺のことになります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ