伏見宮家と縁があるお寺(光清寺) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

レレレの行ってみたらこんなとこ!

散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(令和5年11月23日のこと)です
京都アスニーを後にして、やっとこの日の目的地へ向かいました

光清寺(こうせいじ)
住所・京都市上京区七番町339
御本尊・聖観世音菩薩
HP・光清寺 

駐車場・あり
歴史など
寛文9(1669)年、伏見宮貞致(ふしみのみやさたゆき)親王より臨済宗の杲山義洋(こうざんぎよう)禅師へ寺地が寄進される
親王の母親・慈眼院殿心和光清大信女(じげんいんでんしんわこうせいだいしんにょ)の供養の為、その位牌がおかれる
当初は聲實庵(しょうじつあん)と称す
宝永3(1706)年、親王の母親の戒名にちなみ、心和山光清寺と変わる
創建以来、伏見宮直属で本山に所属しない無本寺であったが、明治初(1868)年より臨済宗建仁寺派に属する
岩倉具視の岩倉家の菩提寺であったが、現在は西賀茂霊源寺へ移転しているそうです
(由緒書きより)

寺号標

3日間だけの公開でした
それも初公開だったのですが、その後ブロ友さんが行かれたら、また公開されそうなことを言われていたみたいですひらめき
由緒書きと一緒に挟んであった用紙には、現在でも月に一回、写経や座禅体験などいろんなことを開催されているようです
HPから予約出来たりするようです

駒札
当寺は寛文9年(1669)伏見宮貞致親王が御生母慈眼院殿心和光清尼公の菩提のため杲山和尚を開山として創立された。
  創立当初は天台真言宗華巖禅の四宗兼学く声実庵と称したが、宝永3年(1706)堂宇を焼失し伏見宮邦永親王により再建された。
  この時宮家御生母の法名をもつて寺号とし心和山光清寺と改められた。
  当宮家の縁故により無寺格とし宮準門跡に列せられ明治初年臨済宗建仁寺後に所属した。
  本堂に安置する聖観世音菩薩立像は慈覚大師の作と伝えられ辨天堂は旧伏見宮邸より遷座された。
  辨天堂の南側にかけられないる絵馬は俗に「うかれ猫」と云い出水の七不思議の一つに数えられている。
  本堂前庭の「心和の庭」玄関前庭「心月庭」は
重森三玲により作庭された。
 心和山 光清和
(原文のまま)

山門くぐって左手に鎮守の弁天堂


その横にこんな絵馬が
と言っても、こちらは写真らしく、確か実物は本堂にあったのがそのようでしたひらめき

こちらには云われがあり、そのことが書いてあります
絵馬 浮かれ猫 伝説
  光情寺の鎮守弁天堂に、牡丹の花のもとにやすむ猫と花に舞う蝶が描かれたふしぎな絵馬がある。 
  江戸時代のある夜、近辺の里から弦歌の音が聞こえてくると、その節につれて猫が絵馬から浮かれ出し、女性の姿に化けて踊り舞い始めた。それを見た人がいたらしく、世に「浮かれ猫」と言いはやされるようになった。 時の住職松堂和尚(当山五世、1811年示寂)は不快に思い、法力で浮かれ猫を絵馬に封じ込めてしまった。その夜、衣冠束帯に威儀を正した武士が住職の夢に現れた。「私は絵馬の猫の化身です。あなたに封じ込められ不自由に耐えられません。今後は軽はずみをつつしみますので、なにとぞお許しください」と嘆願した。和尚は哀れに思い封を解いた。その後異変はなかったが、この話はいっそう世に広まり、人気商売に利益ありとされ諸芸上達を祈願する祇園島原の名妓等が参詣したという。この界隈に伝わる「出水の七不思議」の一つに数えられる。 
絵馬複製写真館寄贈 中田昭
(原文のまま・一部抜粋)
解説も面白いので、気になった方は画面をアップして読んでみてください😌
この日、住職さんが、この話を面白おかしく話してくださいましたニコニコ

山門くぐって右手に庫裏

その前にある心月庭
こちらもメインの庭と同じく重森三玲氏が出掛けられた庭でした
クロマツが枯死したあとに、昭和49(1974)年に重森三玲氏により作庭
「心月」は心の真実を月に例えた表現ということです
(由緒書きより)

正面から

その先の左手に鐘楼


庭のある扉に菊の紋章

そこから覗く心和の庭
こちらも重森三玲氏作となります
こちらを見たくて、訪れたんですけどねひらめき

玄関入って、左手に受付
拝観料800円を払い、由緒書きとステッカーを頂きました

右の廊下を行くと、本堂で庭園・心和の庭があります
昭和42(1967)年、第11世透関和尚の依頼により重森三玲が作庭
山号心和山にちなみ「心」の字を四島で構成
石と砂で大自然を凝縮した枯山水様式
(由緒書きより)

何度も同じような画像出ますが、ご容赦ください🙇
左端から

正面から



竹垣がいかにも重森らしい( *´艸`)

右端より




竹垣のアップ

南側にある小さな枯山水部分



アップで


最後にまた全体を

頂いた御朱印です
こちらは崩した文字?と2種類ありました
庭園の図と、踊り猫がいますね泣き笑い

ご住職も若く、こちらのご住職もお寺というものの将来について考えるところがあるようでした
そんなこともあり、今回公開に踏み切られた部分もあったのかもしれません?
でも、そのお蔭で今まで見れなかった重森三玲作庭の庭を見ることが出来て良かったです😊
その後、ブロ友さんが行かれ、これからも公開されそうなことを聞いておられたようです

ちなみに、頂いた由緒書きは3つで構成されていて
右、お寺で体験出来る琴ノ若紹介
中、由緒書きと浮かれ猫と庭の解説
左、庭園について重森三玲の言葉
で構成されていました
特に庭園を作庭された重森の言葉(思想)が読めるのは貴重かと思いました目がハート

この後、周辺の散策が続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ