京都モダン建築祭5-3 島津製作所 創業記念資料館 | レレレの行ってみたらこんなとこ!

レレレの行ってみたらこんなとこ!

散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(令和5年11月3日のこと・イベントは終了してます)です
次の部屋に入ったら、まずは島津源蔵のことに関するVTRを7分間見ることになります
それからは自由にいろんなとこを見て回れました

入ったとこの手前には島津家の人物などのことが展示してありました

解説
三兄弟の協力
「兄弟は両手の如し」(二代目源蔵)
  明治27年、父の急逝により、当主となった兄(二代目源蔵)を助け、弟二人も家業の経営に当たります。二代目源蔵が蓄電池の開発に没頭し、日本電池にその主力を傾けるようになると、島津の京都本店は三男の常三郎に任されます。次男の源吉は東京に移り、中央省庁の動きに呼応しながら製品開発を進め、事業を全国的なものに拡大していきました。
  三者三様の個性が相競いつつも時には協力し、お互いの才能を十二分に発揮します。こうした調和の上に事業の伸展があったのです。
(原文のまま)

そこには電気自動車の模型もありましたあんぐり

解説
電気自動車(デトロイト号》
「日本のような石油のない国では、 電気自動車でなければならない」(二代目源葳)
  大正6年、二代目源蔵は、米国から二台の電気自動車を購入し、鉛蓄電池を自社製 (42個 [84V、138Ah])に取替えて、約30年間愛用しました。一充電走行距離40km、最高時速60km。水平レバーによって速度を制御し、バーハンドル でした。
  この車は平成21年、(株)GSユアサにより当時の雰囲気を保ちつつ運転可能な車に復活されました。改めて電気自動車に注目が集まる現在、二代目源蔵の思い描いた夢が実現しつつあります。
(原文のまま)
大正時代にすでに電気自動車が実用化されていたということに驚きました!(@_@;)


そんな展示で興味をひいたのがこの図

どんどん焼け 焼亡範囲
どんど焼けした場所が示してあります



外から見えたステンドグラスもしっかり見ることが出来ましたひらめき


その解説もありましたよ指差し
ステインドグラス(「宇野澤辰雄」作)
西洋化の中の日本
  軒下にステインドグラスが入れられたのは、当時の写真から、第四回内国勧業博覧会に向けた店舗新築時 (明治27) か、もしくは、大正4年の御大典のときと推定 できます。
  ステインドグラスの中央には、桜の花と葉でデザインした 「日本」という文字が隠されており、西洋に倣いながらも日本独自の技術を追求する源蔵の志を図案化しているように思えます。
(原文のまま)

そしてビデオを見た後ろには、居住区だった部屋に上がって見ることが出来ました♪


部屋の二面は庭となっていました







左側の人が見えるところでビデオを見ていました


照明器具
両側のは後付かもしれません🤔

一応アップも

額縁

2階もあったので、次回は2階のことになります
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ