京都守護職の屋敷から移築されてきた門 | レレレの行ってみたらこんなとこ!

レレレの行ってみたらこんなとこ!

散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(11月3日のこと)です
平安神宮を後にして西へ向かうと、右手に駐車場があり、その奥に門があります
京都守護職上屋敷移築門
住所・京都市左京区岡崎西天王町
駐車場・なし
京都守護職と言えば会津藩で、駐屯地として有名なのは金戒光明寺【文久2(1862)年12月入洛】ですが、翌3年に現在の京都府庁にあった民家を買収して守護職屋敷を建てたのが上屋敷のようです
敷地は約3万坪
(京の史跡めぐり参照)
石碑などが残っているようですが、撮り忘れてます😅

ちなみに、京都府庁が屋敷跡に移ってきたのは明治18(1885)年ということです
(京の史跡めぐり参照)

その門の袂に石碑

解説
薰風句碑
  風薫る左文右武の學舎跡・野風呂
  鈴鹿登(野風呂)は大正9年に文科教授として武道専門学校に赴任し 大東亜戦争の終結後 昭和22年廃校時に最後の校長として武専を収めた ホトトギス同人の俳人で 京鹿子誌をも主宰していた 生涯を 通じて三十萬余句をものしたという
  武専で授業の傍「小男鹿俳句会」を起して指導していたが 廃校と共に中絶した 昭和34年に至り句会は再興し 又その指導をすることとなった
  昭和38年 野風呂の喜壽を祝して句碑建設を計画し 翌49年3月洛北高雄より碑石を得て旧母校の正門脇に据えた
    左文右武句碑ともいう
      昭和46年没    八十五歲
   大日本武徳會 武道專門學校 小男鹿俳會
(原文のまま)
こちらの石碑は、この門に関することでなく武道専門学校に関することでした指差し

門近くから


この後、裏から戻った撮ったので、その画像も貼っておきますひらめき

逆光で暗くなったので、2種類ずつ貼っておきます🙇




次はモダン建築祭のことになります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ