京都モダン建築祭1 常は会員制カフェで入れない店(時忘舎) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(11月3日のこと)です

もっこ橋から少し下ると右手に木塀があります
そこに先ほどのもっこ橋の解説と

こちらの解説がありました

竹中精麦所跡
竹中精麦所跡(通称『水車の竹中』・岡崎文化的景観要素)
  この一帯は水車動力による大正の町工場 「竹中精麦所」のほぼ外郭を残し ています。
現存する水路は直径四・五メートルもある大水車を回すために大正6年、竹中亀吉によって改修石積みされたものです。
疏水より引かれ母屋の下をくぐり、下にある「お稲荷さん」の裏で白川に合流しています。
  当時はそれなりの水量があり、その水車動力により二十四時間稼働で精麦 の臼をついておりました。精白された麦は俵詰めされ、初期は荷馬車、後には三輪トラックで卸す麦問屋を営んでいました。
 麦は主食・味噌材料用などの他、兵士の「脚気」予防のため陸軍省などにも納めていたそうです。
  昭和45年頃に工場主要部分は解体され、現在の空地となりました。現存するのは後部の建物のみです。北側の建物は住居家屋周囲は従業者の住居などで、お稲荷さんは水車及び水路と一帯の安全祈願のため水路の傍に祀られたものです。
  昭和15年、国の食糧管理令の強化などのため工場は閉じられました。疏水の水力利用の水車は岡崎や夷川一帯に数多くありましたが、全て暗渠となり水車水路として元の形 で残る唯一のものです。この水路の疏水の水利用申請は疏水の出来た明治23年に出されており、竹中亀吉は五代目の所有者にな ります。
  よって、この前の小路を『水車の竹中みち』 と名付けております。
   白川辺 竹中精麦所跡 「水車の竹中」保存会
(原文のまま)

そしてこちらの現在の看板が木塀に掛かってました
時忘舎
住所・京都市左京区岡崎円勝寺町57-7
駐車場・多分なし
こちらが岡崎サテライトとなっていて、チケットと交換して貰えました
そしてこちらも会場の1つだったんですひらめき

玄関

てかって、見えませんが、石碑には竹中精麦所跡とあります
ここから中は撮影禁止でした
正確に言うと、撮ってもいいけどSNSとかでは出さないようにということでした
なので、滅多とない機会なので、いつものように目一杯撮影はしています!🤣
これ出したりしたら、次から公開されないとか問題が出てくるので、アップしませんけどね😅
ただ自分用にフォトブック(dフォト活用)としてまとめましたニヤリ
こんな感じで

こちらは「会員制カフェ」という珍しい形態を取っておられるようで、常は一部の人たちが楽しまれているようです照れ

中はオシャレでした!
入ったとこの庭園も、建物も、家具なんかもアンティークな感じで気持ちよく過ごせそうでしたひらめき
これ行かれてない方は、今年も公開されるなら見ておいて損はないと思えるものでした
むしろ会員になって、日頃(市内行く日が限られてますが🤣)楽しみたいようなところでしたよ😊
Googleマップで写真を見て頂くと、カフェで行かれた人が写真をアップされてたので、そちらで雰囲気が伝わるんじゃないかと思います😄

チケットも無事ゲットしたので、次の会場を目指します
そのチケットの取り方なんかはダイジェストで書いてるので、そちらを参照して頂ければ幸いです😌

次回から通ったとこアップしながら、ボチボチアップしていきます

では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ