前回からの続き(10月21日のこと)です
京都ゑびす神社を後にして、大和大路通りを下っていきます
しばらく歩くと松原通りに
松原通りを東へ歩いて行って、右折すると次の目的地へたどり着きました
六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)
住所・京都市東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤町81-1
御本尊・十一面観音(国宝)
HP・六波羅蜜寺
札所・西国三十三所観音巡礼(第17番)
洛陽三十三所観音霊場(第15番)
神仏霊場巡拝の道(第118番・京都第38番)
都七福神まいり
駐車場・あり(5台)
ただ駐車場があったイメージが無いんですよね😅
歴史など
平安時代は平家の邸宅があり、鎌倉時代には探題が置かれた地
天暦5(951)年、空也上人が悪疫退散の祈念をこめて刻んだ十一面観音立像を本尊として西光寺を開創
上人没後、弟子の中信が地名の六原と仏語の六波羅蜜を合わせて現寺名に改称
足利義詮、源頼朝、豊臣秀吉らの補修を受け栄える
明治維新までは、多くの塔頭や子院があった
(京都大知典参照)
こちらは以前伺って御朱印も頂いてます→六波羅蜜寺
入ったとこにまずあるのが弁財天堂
こちらで都七福神まいりのお詣りはしますが、御朱印を書いて頂くのは本堂の前を通った先となります
本堂行く前にある御本尊と同じ十一面観音菩薩と願石
その後方(本堂横)にあるのが
阿古屋塚
解説
阿古屋塚
阿古屋の菩提を弔うため鎌倉時代に建立す。 石造宝塔は鎌倉時代の作で、その下の台座は古墳時代の石棺の石蓋を用いている。
歌舞伎 壇浦兜軍記 「阿古屋」
平家の残党 悪七兵衛景清の行方をさがすため、想い人で五條坂に住む白拍子阿古屋を捕え、代官秩父庄司重忠は阿古屋に景清の所在を問い質す。阿古屋は知らぬと申し開きをするが、詮議のために弾かせた琴、三味線、胡弓などの調べに一点の乱れのないことに感動した重忠は阿古屋が景清の所在を知らぬことが真実であると知れ釈放する。「阿古屋の琴責め」とも称される。
平家物語の裏面に隠された「阿古屋」の悲恋を語り伝えるためにこれを記す。
平成23年11月吉日
五代目 坂東玉三郎
第六十五世山主 純性
(原文のまま)
その隣には
平清盛公乃塚(供養塔)
次回は此の辺りです気になってたとこがあったのでそちらへ行ってみました
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ