二宮金次郎さんが道沿いにある小学校跡(植柳小学校の碑) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(11月18日のこと)です
御影堂門を出て、真っ直ぐ正面通りを歩いて行きます

すると、東中筋通りと交わる交差点の角に場にそぐわない二宮金次郎さんがいましたびっくり
住所・京都市下京区正面通東中筋西入柳町338
駐車場・なし

二宮金次郎さんと解説部分(下)

解説のアップ
植柳小学校の碑
  植柳小学校は明治2(1869)年9月16日、明治政府による明治5年の学制発布に先立ち、 下京第十九番組小学校として町衆によって山川町に開設された。
  明治7(1874)年9月、児童数急増により柳町の本願寺寺内町奉行所跡のこの地に移転、 教室は本願寺より伏見城の遺構である関雎殿の寄贈を受けて開設、同年植柳小学校と改称された。植松町と柳町から校名がつけられたとされる。
  当時の小学校は、京都府より一部の援助はあったが原則地元負担であり、土地購入・建築費・運営費は寄付金や各家の分担金、および教育の重要性をよく理解していた本願寺からの多額の援助でまかなわれた。
  開校以来、校名は植柳尋常小学校、植柳国民学校、植柳小学校と変遷したが、学区民の物心両面の支えと教育関係者のたゆまぬ教育実践により、一万余名の卒業生を輩出した。
  平成22(2010)年3月31日、地域住民の活動の中心としても長くしまれてきた植柳小学校であったが、児童数の減少から、子どもたちの教育充実を願い統合校である下京渉成小学校に後を託して140年の歴史の帯を閉じた。
  隣に立つ二宮金次郎像は、正門の横に長く設置され多くの児童を見守ってきたものであり、卒業生にとって想い出のモニュメントである。
  設計日  令和5(2023)年5月
(原文のまま)

違う角度から
こちらにも小学校があったようですが、統廃合されたようです
田舎でも統廃合は多くなってきてますが、市内でもそんなだといかに子供が減ってきてるか分かる話です😓

次回は特別公開したとこのことになります
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ