西の身延と呼ばれるお寺(妙傳寺) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

レレレの行ってみたらこんなとこ!

散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(10月14日のこと)です
京都仁王門で買い物してから、東大路通りを再び上がって(北上して)行きます
妙傳寺(みょうでんじ)
住所・京都市左京区東大路二条下ル北門前町481
御本尊・勧請様式曼荼羅
通称・西身延、西之身延
HP・妙傳寺 

札所・京都八本山巡り
駐車場・あり
境内図を見ると本堂横にあるようです
こちらも京都十六本山であったり、洛中法華21ヶ寺の1つになります
歴史など
文明9(1477)年、日意上人により一条尻切屋町に開創
日意上人が、関西以西の檀信徒には身延山への参詣が遠く不便であることを思い創建する
そのため、西身延、西之身延、関西身延と言われる
開創の時、日蓮大聖人の御真骨を奉安される
のち、四条西洞院の西側に移転
法華の乱に際して乱の起因となる紛争を延暦寺衆徒と起こし焼き討ちされる
そのため乱後の復興が遅れる
【住僧の還住が許可されたのは永禄元(1558)年】
天正19(1591)年、秀吉の寺町建設計画により寺町夷川上ル東側に移転
宝永5(1708)年、大火で類焼し、現地に移り再建
(京都・山城寺院神社大事典参照)

寺号標など
奥に寺号標
真ん中に日蓮上人が分骨されていることが書かれています
右側、維新七卿 四條隆謌卿之墓
四條隆謌
1828年10月17日〜1898年11月24日
幕末明治初期の公家
陸軍軍人
文久3(1863)年8月18日、政変により失脚、三条実美らと長州に下る
慶応3(1867)年、王政復古で復位し上京
戊辰戦争では各追討総督を務める
のち、大阪、名古屋の鎮台司令長官を歴任
明治14(1881)年、陸軍中将に
(朝日日本歴史人物事典参照)

寺号標

東大路通り沿いから日蓮上人像と題目碑が見れます
その前にあるのは京都市の雨庭

上人像アップ

題目碑

山門入り口のとこの掲示板
か〜な〜りいろんな御朱印があるようですあんぐり

境内図
大きな境内が多い日蓮宗の本山のお寺にしては割りとコンパクトな感じでした
それでも建物(本堂)はデカかったですがあんぐり

山門くぐって右手に本堂



本堂の左側に鐘楼堂

更に左側にこちらの建物

扁額には「高祖写利」となっているので、こちらに分骨が納められてるのかもしれません🤔
その前には仏足石

東大路通り側にあった片岡碑
どうも横に「十一代目 片岡秀太郎」と書かれていたようです
歌舞伎役者?🤔

本堂の右側を奥へ進むと、本堂裏に客殿
その前にはプチ庭園になっていて、ベンチなどもありましたニコニコ

客殿

受付
ただこの頃(現在もかは不明)は不在にされていて、前の塔頭である玉樹院さんで御首題とかは書いて頂けるということでそちらへ行きました
ちなみに、12時〜1時は受付されない(休憩?)ので、時間調整で本妙寺さんへ行った訳です😅

受付の反対の建物が玉樹院
画像の右奥へ行くと玄関があります

こちらで頂いた御首題(500円)です

こちらも記念カードがあるので、それも頂けました😊


こんな小冊子もあったので頂いてきました指差し

待っている時、客殿の前にある塔頭の本光院さんを見ると

このようないろんな御首題・御朱印があるようでしたあんぐり
今回は頂いてませんがf(^^;

引き続きこの辺りのことが続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ