京都の復興に尽力された知事の像(北垣国道銅像) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(8月18日のこと)です
前回にも書いた夷川発電所の敷地内には北垣国道像があります
住所・京都市左京区聖護院蓮華蔵町35

北垣国道像があるのはマップで確認してたのですが、対岸だとは思いませんでした😅
それも発電所の敷地内のようなんで、入ることは出来なさそうな感じですし🤔

解説
京都府知事
北垣國道(1836年~1916年) 
  北垣國道は第三代京都府知事として1881年~1892年の在任中に 東京遷都による京都再生のため琵琶湖疏水を計画し 広く市民にその有用性を説いて1890年に完成させた
  発電 運河 灌漑 飲料水 防火 工業などその水利の効用はきわめて大きく 感謝の意をこめて1902年 この地に知事の像が建立された。
  しかし 第二次世界大戦中に供出により失われたため 琵琶湖疏水100周年と京都桂ライオンズクラブ結成二十五周年記念を期し再建された
   1990年4月
        京都桂ライオンズクラブ
(原文のまま)
補足
鳥取藩郷士の父のもとに生まれる
文久3(1863)年、生野の変に参加
戊辰戦争に藩士に列せられ参軍
明治2(1869)年、弾正少巡察に
廃藩置県の際(1871年)に、鳥取県の少参事に
その後、高知・徳島両県令を経て京都府知事を務める
その後、内務次官となるも3日後に北海道庁長官に
明治29(1896)年、男爵に叙せられる
晩年は、貴族院議員、枢密顧問官を務める
(朝日日本歴史人物事典参照)
北垣国道って、京都では有名な知事ですが、三代目だとは思いませんでした💦
その前には
初代・長谷信篤(慶応4年〜明治8年)
2代・槙村正直(明治8年〜明治14年)
というお二人がおられたようです
2代目槙村知事も京都建て直しのため、かなり尽力されたようです
(京都府HP、歴代の京都府知事参照)
気になる方もおられるかもなんで、そのページリンクしておきます


こちらは台座の下の碑文の解説でした
漢文で書かれているようです💦

で、像をアップに撮ってみたら
頭から鳩が逃げない🤣
仕方ないから、その様子のまま収めました泣き笑い

この日のことはこれでお仕舞いです
次回からの散策は枚方へ行った日のことになりますが、一旦こないだ行った京都のことを少し挟んでからになります😌
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ