前回からの続き(8月18日のこと)です
疎水こみちを東へ行くと、なんと夷川ダムというのがあるんです!
駐車場・なし
こんな感じで、ハッキリ見ることは出来なかったんですけどね😅
解説板がありました
夷川水電所
正面煉瓦造りの建物の発電所は、 大正3年(1914年)に建設されて以来、長期にわたって京都市内に電力を送電しています。
この夷川発電所は、 明治23年(1890年) に琵琶湖疎水が竣工し、翌年にその水力を利用した我が国最初の事業用水力発電所である蹴上発電所が建設された後、第二疏水計画と軌を一にし て、下流の墨染発電所と同時に建設されました。
初期は、水車が英国ボービング社製の4連フランシス水車、 発電機が米国ウェスチングハウス社製の同期発電機でしたが、 平成4年~5年 (1992年~1993年) に取替工事を行ない、 現在 の認可出力は300kWで国産のS形チューブラ水車および同期発電機を使用しています。
平成7年(1995年) 3月 関西電力株式会社 京都支店
(原文のまま)
ということで、現役で稼働しているみたいです
少し先へ行くと、プチ公園が
そこには琵琶湖疎水の解説がありました
琵琶湖疏水とは・・・
琵琶湖から京都に水ぶ人工の水路で、以下の3つで構成されます。
(1) 第1疎水 大津市観音寺から伏見区堀詰町までの約20km
(2) 第2疎水 第1疎水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4km
(3) 疏水分線 左京区上付近から分岐し北白川に至る全長約3.3km
建設の背景
明治維新による実上の東京遷都に伴い、急速に衰退していった京都のまちを再興させたのは、琵琶湖疎水の建設という一大プロジェクトでした。
北垣国道・京都知事が工事の責任者に選んだのは、最先端の知識を学んでいた青年、21歳の田邊朔郎でした。建設工事には、延べ400万人の作業員が動員され、当時国内最長となる2.4kmの第一トンネル掘削において、日本で初めて堅坑工法を採用するなど、技術面でも進取の精神が取り入れられました。また、全てを日本人の手で行った我が国最初となる土木工事でありました。
京都近代化の源
約5年に及ぶ難工事の末、明治23年に第1疎水が完成。日本最初の事業用水力発電や路面電車の開業のほか、舟運、かんがい、防火、庭園などに活用されました。
明治45年には、全線トンネル構造の出され第2疎水や日本で初めて急速濾過方式を採用した蹴上浄水場の建設、水道網の整備など、琵琶湖疎水の建設は京都のまちの近代化、発展に大きく貢献しました。
時を超え、 舟運復活から日本遺産に
今もなお、現役の施設として豊かな水を京都にもたらす琵琶湖疎水。途絶えていた舟運が平成30年、67年ぶりに観光船「びわ湖疎水船」として復活し、琵琶湖疎水竣工130周年を迎えた令和2年には日本遺産に認定されました。明治の時代、先人たちが創意工夫と情熱をもって成し遂げた偉業は、今に脈々と息づいています。
2022年4月 京都市上下水道局
(原文のまま)
対岸には北垣国道像があります
夷川船溜の様子も撮ってみました
琵琶湖疎水に関連する本でこんなのもあります
疎水誕生
中は右に文章、左に挿し絵という児童向きかもしれませんが、天皇が東京へ行かれて京都が錆びれて行くところから描かれています
かなり事細かに綴られているので、琵琶湖疎水のことが理解しやすい良書だと思います👍
全142ページ
次回でこの日のことはお仕舞いです では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ