智積院境内散策 その2追記あり(密厳堂他) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(4月22日のこと)です
大師堂の横から更に上に上がる道がありました
今まで行ったことなかったのでそちらに行ってみますおねがい
そこは密厳堂

駒札

密厳堂
一、建立年代 寛文7年(西紀1667年) 当山第七世
運敝僧正(西紀1614年1693年)の時落成した。
五間に 坪数四十五坪。
一、密厳堂は、開山堂又は覚鑁堂とも呼ばれ、真言宗中興の祖と仰がれる興教大師覚鑁(西紀1095年1143年)のご尊像をまつる。20才にして高野山に登り当時の衰微せる高野山真言教学を再興して真言宗の基礎を確立した、後紀州根来寺に退隠して学侶の養成に当り、康治2年(西紀1143年)49才をもって還化された。
(原文のまま)

階段上がった正面に本堂

参道沿いに興教大師覺鑁像がありました

正面アップ

横から

動画も撮ってみました

(こちらも貼るの忘れていたので追記です)

覚鑁像の後ろには求聞持堂

駒札
求聞持堂
一、文殊堂又は、護摩堂とも云う
嘉永4年(西紀1851年)
当山第三十七世信海僧正(西紀1783年1857年)の時落成した。
一、本尊は虚空蔵菩薩
お前立は不動明王である。
(原文のまま)

境内にはこのような神社もありました

境内社

その対面に運敞蔵

駒札
運敞蔵
一、運敝僧正(西紀1614年 1693年)は当山第七世にして智山教学の大成者。
字は元春、泊如と号す。
この蔵は延宝元年(西紀1673年) 僧正によって建立された。
中には僧正一代にわたって収集され た貴重な内・外の書籍文献が収蔵されており、元禄6年(西紀1693年) 9月10日 壽80才を以って遷化後その偉徳を偲び、僧正の座像を謹刻してこの蔵にまつる。
(原文のまま)

鐘楼

階段とは違う通路もあります

密厳堂を後して、出口へ向かいます

次回まで智積院のこと続きます😌
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ