北野天満宮の梅 | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(2月23日のこと)です
壽聖院を後にして、時間が割りと早かったので、次に向かったのは北野天満宮でした
この頃、ボチボチ梅が始まっているようなので行ってみました
駐車場はさすがに混んでいました笑い泣き
北野天満宮は以前、総集編をアップしていますので、詳細はそちらからご覧ください🙇


そしてこの日の梅苑のことは先にアップしました→梅苑 

今回は境内の梅の様子となります照れ

無事駐車場(こんな時でも無料)に車を停めて、境内へ向かいます
駐車場からまず最初に見たのはこちら
北野大茶湯之址の石碑
こちらは豊臣秀吉が京都でやった大茶会の内の1つの会場となってます
こちら北野天満宮の大茶湯は天正15(1587)年
もう1つの醍醐の花見の宴は慶長3(1598)年
会場はもちろん醍醐寺となります

その近くに太閤井戸

楼門

北野天満宮境内図

由緒
 北野天満宮
 菅原道真公(西暦845〜903年)を御祭神とする全国天満宮の総本社。天暦元年(西暦947年)御神託により御鎮座。歴代天皇、皇室の御尊崇篤く、又朝廷、将軍家の崇敬を受け、全国に天神信仰が庶民の信仰として、又学問の神として広まった。現在の社殿は豊臣秀吉公の遺命により秀頼公が慶長12年(1607年)に造営。桃山時代の代表的建物(国宝)。境内一円は京・随一の梅の名所で約2000本約50種の梅木がある。毎月25日は天神さんの縁日として有名。
(原文のまま。一部抜粋)

よくブロ友さんがあげれおられる花手水

実際見ると画像以上に見事なものです爆笑

その近くの牛さんとこが一番この頃咲いてた気がしました😁


境内を歩いて行きます



織部形石燈籠

解説
 織部形石燈籠
茶人好みの石燈籠形式の1つにて古田織部正重然(元和元年6月11日没)の墓にあるものの形に因んで名付けらる
マリア像の彫刻あるにより俗にマリア燈籠、切支丹燈籠ともいう
(原文のまま)

三光門近く

三光門

本殿前の飛び梅はまだな感じでした😅


本殿(国宝)




本殿周りを散策します







和魂漢才碑

解説
 和魂漢才碑
「菅原遺誡」の中の和魂漢才に関する二章を記したもので菅公の御精神を周知せしめるために嘉永元年に座田維貞が東坊城聡長に揮毫を請うて建碑したものである。
(原文のまま)

碑のアップ

グルッと回って再び本殿へ

そこには2つの石燈籠があります

解説
霊元天皇御寄進石燈籠 一対(右)
 天和2(1682)年7月25日 霊元天皇御寄進
 当宮は寛弘元年(1004)一條天皇北野社に始めて行幸され二十二社に列格 爾来歴代天皇の篤い御敬神のもと 御皇室による格別の崇敬を賜り今日に至る
 中でも第112代霊元天皇は 大嘗祭を再興「文道大祖 風月本主」と敬慕する 北野社に法楽和歌・連歌をはじめ数多くの宝物を奉納 神前に石燈籠を御寄進された

有栖川宮御寄進石燈籠 一対(左)
 文政6(1823)年11月25日 有栖川宮韶仁(つなひと)親王寄進
 有栖川宮家は 代々学業を好まれ 特に韶仁親王は芸術に対する御理解 歌道・書道への御造詣深く 達人と云われた
 文道の神 天神様への敬神の念を以て納められたこの石燈籠は 御皇室の御崇敬を表す貴重な文化財てわある
(原文のまま)
近くには源頼光の家来・渡辺綱が寄贈したという石燈籠もあります指差し


絵馬所



梅苑も見終わって帰るとき、楼門の出口でこんなお守りを発見しましたひらめき
厄除割符(初穂料500円)

このような形で売ってあります
(1)何種類かの御利益が書いてあるので、その中から自分にあったものを選びます
(2)片方に名前と歳を記入
(3)半分に割ります
(4)御利益が大きく書いてある(2つ前の画像だと右側)方を納めます
(5)残りの半分(上の画像)は身につけます
これ無人で置いてあるのには驚きました!びっくり
で、面白い(不謹慎?)から嫁さんと2人分してみましたひらめき
ちなみに、無人で売られていたので見てる方が心配になってしまいました不安
これが出来るのが日本の凄さだなぁとも思いましたよ真顔

梅苑へ入ったときに頂いた茶菓子

お茶はその場で飲みましたが、お菓子は帰ってから食べました😄

北野天満宮のこと続きます
では、まだ〜(* ̄∇ ̄)ノ