第57回京の冬の旅その1 阿茶局が創建した世継地蔵があるお寺(上徳寺) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(1月9日のこと)です
冬の旅でやって来たのは、何回か訪れたこちらがでした
上徳寺
住所・京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町556
通称 世継地蔵
御本尊 阿弥陀如来
札所 通称寺
こちらは秋にも訪れています→上徳寺 

歴史など(駒札より)
 塩竈山と号し、浄土宗に属するを
 寺伝によれば、慶長8(1603)年に、徳川家康によって、上徳院殿(阿茶の局)が開基となり、伝誉蘇生(でんよそせい)上人を開山に招じて建立した寺といわれる。寺内に泰栄院の宝篋印塔がある。
 以後、度重なる災火により、堂宇、塔頭は焼失し、現在の諸堂は明治時代に再建されたものである。
 本堂は、宝暦3(1753)建立の永観堂の祖師堂を移築したものである。堂内には、江州八橋(滋賀県)の鞭崎八幡宮から移したといわれる阿弥陀如来像を安置している。
 境内の地蔵堂は、明治4(1871)年に再建され、高さ2メートル余の石地蔵を安置している。この地蔵は「世継地蔵」と呼ばれ、往古から、良い世継ぎが授かる御利益があるとして遠近の人々の信仰を集めている。
 また、境内には、江戸時代の冠句の唱導者・堀内雲鼓(うんこ・1728年没)の句碑及び墓がある。
 京都市
(原文のまま)
阿茶局は才知に優れていて、戦いにも同好したり、大阪冬の陣では和睦の使者も勤めたような人物ということですびっくり
確か、なんだったかの映画でもそんな人物見た記憶があるので、それが阿茶局だったのかもしれません🤔
今回の大河「どうする家康」でも、後々出てくる人物なんでしょうね!?おねがい
阿茶局
1555〜1637年1月22日
享年 83歳
雲光院
徳川家康の側室
甲州武田氏の家臣・飯田筑後直政の娘
最初、今川氏の家臣・神尾忠重に嫁ぐ
一子・守世をもうける
後、忠重と死別
天正7(1579)年5月、家康に近侍し、阿茶局と称される
これより以後、度々戦に供奉する
慶長19(1614)年、大阪冬の陣に際し、和睦の使者として、常高院(京極高次室)と共に大阪場内へ入り、誓書をとる
元和6(1620)年、秀忠の五女・和子の入内に際し、母代わりとして上京
のち、従1位を叙される
寛永3(1626)年、秀忠、家光の上洛にも供奉し、二条城での後水尾天皇の饗応を差配する
秀忠の没後、仏門に入り、雲光院と号する
江戸神田・雲光院に葬られる
(寺は後に江東区へ移る)
(日本女性史「人物」総覧参照)

令和5年 京の冬の旅の第1箇所目となります

山門くぐると、本堂前に受付がありました
拝観券

本堂
こちらから上がって、本堂内を拝観することが出来ました
そして何よりありがたかったのが、撮影オールOKだったこと!😆
こちらが永観堂の祖師堂を移築したもの

本堂内はこんな感じ指差し

柱が金色に装飾されていましたが、なぜか奥の2本は黒色🤔
その黒色のも貝殻が混ざった造りとかだったと思いますびっくり

御本尊の阿弥陀如来さまは文化財指定を受ける審議ためだかで東京へ出張中でした💦
祝‼️重文指定
木造阿弥陀如来立像
【2022年11月 重要文化財指定 答申】
仏師・快慶作とされる上徳寺の本尊・阿弥陀如来立像は、鎌倉時代の制作で、観音菩薩立像・勢至菩薩立像(江戸時代の補作と思われる)の両脇侍とともに安置されている。像高97.3cm、全身が漆箔に覆われた寄木造で、「塩竈山上徳寺本尊縁起」によれば、徳川家康が滋賀県草津市八橋の鞭崎(むちざき)八幡宮から請来したものであるという。
【通例の阿弥陀如来立像とは異なる特徴】

●唇に朱が施されたうえに水晶が貼られている。「玉唇(ぎょくしん)」と呼ばれるこの表現は、他には東京国立博物館所蔵の木造菩薩立像(重文)と、京都・仏性寺(ぶっしょうじ)の木造阿弥陀如来立像の2例が知られるのみである。かすかに艶を帯びているのが、肉眼でも分かる。
●頭部の螺髪(らはつ)が、掘り出すのでなく、1粒ずつ金属製の釘で留められている。
●来迎印を結ぶ左右の手の上げ下ろしが、通常の阿弥陀如来像とは逆になっている「逆手(さかて)」の印相(いんそう)である。
●通常の阿弥陀如来像のように、衣が右脇を通って左肩にかかる着衣形式ではなく衣を通肩(つうけん)につけている(両肩を覆って衣をつけている。)

これらは平安時代末期から鎌倉時代に見られるようになる「生身(しょうじん)信仰」に基づく表現で、仏が衆生(しゅじょう)を救うために現れた姿をより具体的に表現する意図があると考えられる。様々な点で類例の少ない阿弥陀如来像であり、制作年代も13世紀前半に遡りうる貴重な像である。
なお、近年のエックス線CTスキャン調査により、像内に籠められた経巻(きょうかん)状の納入品が確認された。
(原文のまま)
公開中、途中からは観れるようだったので、残念でしたぼけー

奥には掛け軸が展示されていました

釈迦涅槃図
ついつい猫が居るか居ないかを探すのが癖に🤣

その右側には徳川家康などの肖像画

左側は徳川家康

真ん中は徳川家康側室で、こちらの開基の
阿茶の局

右側は徳川秀忠

本堂から客殿へそのまま移動出来るように板が渡してありました照れ
その心遣いありがたいです😄

玄関入ったところ
立派な木製の衝立びっくり

客殿内部

襖絵は円山派を学んだ絵師が描いたと言われるもの
手前が「紅葉図」

奥が「桜花図」

正面の掛け軸

違棚

客殿前庭園・右側

その奥にタヌキさんがひよっこりはん🤣

左側

一番右端から望む

客殿の側面から

動画も撮ってみました


画像は無いのですが、この後地蔵堂内にも入れるということでそちらに向かいました
そこには「世継地蔵」と云われる石地蔵さまがおられました
横からも見れるなんて思ってなかったので、その大きさ(約2m)に驚きだったのと、大火に遭って焼けただれていたのも驚きでしたあんぐり
ここも撮影出来たかもしれないのですが、不思議と撮影出来るかもしれないとなると躊躇するものです笑い泣き
その様子は京の冬の旅のガイドブック(300円)↓で見ることが出来ます

以前、こちらで頂いた御朱印です

由緒書き

今回は特別公開されたとこのみアップしたので、通常拝観出来るとこは割愛しました🙇
こちらもまた総集編としてアップしたいと思っています(^^ゞ
次回も続けて特別公開の場所へ向かいます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ