前回からの続き(1月9日のこと)です
西門の裏から本堂へ向かいます
西門裏にあるのが三重塔(重文)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/89/21/j/o0480064015237118087.jpg?caw=800)
承和14(847)年創建と伝わる
現在の塔は寛永9(1632)年の再建
高さ 約31m
初層には大日如来像が安置
屋根4隅の鬼瓦は東角のみ龍
(以降京都・世界遺産手帳参照)
上のことを後で知ったので、これも再訪する検案となりました🤣
ということなので、行かれた方は気にして見てみてください![指差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/602.png)
![指差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/602.png)
その先にある経堂(重文)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/ac/f0/j/o0640048015237118853.jpg?caw=800)
寛永10(1633)年、再建
正面5間、側面4間の仏堂
入母屋造、瓦葺
正面、側面共に蔀戸(しとみど)が吊られる
元は講堂であったため、釈迦三尊像が祀られる
かつては一切経を納める経堂
経堂と三重塔
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/33/ea/j/o0640048015237118855.jpg?caw=800)
その次にあるのが
田村堂(重文)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/45/9f/j/o0640048015237119710.jpg?caw=800)
開山堂とも
寛永10(1633)年、再建
3間4方、入母屋造、桧皮葺
柱と屋根の間の組物は「繧繝彩色(うんげんざいしき)」と呼ばれる技法による5色の彩飾
清水寺創建の本願主・坂上田村麻呂夫妻
開基・行叡(ぎょうえい)居士
開山・延鎮(えんちん)上人像を祀る
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/ce/f5/j/o0640048015237119712.jpg?caw=800)
この画像だと繧繝彩色が分かりやすいかな!?
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/e6/9d/j/o0640048015237119713.jpg?caw=800)
世界遺産「古都京都の文化財」(京都市・宇治市・大津市)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/30/36/j/o0640048015237119715.jpg?caw=800)
地図の部分
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/fc/53/j/o0480064015237119717.jpg?caw=800)
解説部分
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/8e/ee/j/o0640048015237119719.jpg?caw=800)
清水寺は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録されました。このことは、人類全体の利益のために保護する価値のある文化遺産として、とくに優れて普遍的価値をもっていることを国際的に認められたことになります。
清水寺は、「清水寺縁起」によると、宝亀9(778)年に僧延鎮が音羽の滝上に観音を祀ったことに始まり、延暦17(798)年には坂上田村麻呂が仏殿を建立して桓武天皇の勅願寺となったと伝えます。創建後何度も火災によって焼失しましたが、その都度再建され、現在は西門・三重塔・経堂・田村堂・轟門・朝倉堂・本堂・阿弥陀堂が東西に並び、そのほか周囲に仁王門・馬駐・鐘楼・北総門・釈迦堂・奥の院・子安塔・鎮守堂(春日社)、そして鎮守社の地主神社社殿が建っています。大半の建物は17世紀前半に再建されたものですが、こうした景観は13世紀には成立していました。
伽藍の中心となる本堂は寛永10(1633)年には再建された懸造の建物で、いわゆる「清水の舞台」として知られ、林立する高い束柱に貫を縦横に通して豪快な姿をみせています。また、仏堂である石敷の内陣と礼堂である板敷の外陣からなる本体に裳階、正面庇、翼廊、舞台がつくという平面や、その全体に寄棟造・檜皮葺の大屋根をかける架構は、平安時代からの形を受け継ぐものです。
これらの建造物のほか、境内の東寄りには江戸時代初期の借景の技法を用いた成就院庭園が設けられています。なお、これらの周囲に広がる自然景観もみごとです。
登録年月日 平成6(1994)年12月15日決定、17日登録
京都市
(原文のまま)
田村堂の前に拝観受付があります
拝観料は400円
その先に本堂の入り口となる
轟門(重文)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230201/00/shouta09/92/c6/j/o0640048015237122196.jpg?caw=800)
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その前に梟(ふくろう)の手水鉢
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230201/00/shouta09/0f/0b/j/o0640048015237122197.jpg?caw=800)
名前の由来は手水石を支える4隅の台座石に梟の彫刻がされているため
轟門正面から
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230201/00/shouta09/17/98/j/o0640048015237122202.jpg?caw=800)
本堂への中門
寛永8年から10(1633)年にかけて完成
3間1戸の八脚門、切妻造、瓦葺
奈良・東大寺の転害門を縮小して模したもの
「普門閣(ふもんかく)」の扁額は月舟(げっしゅう)禅師筆
門の前には、橋が架かっています
轟橋
八坂の塔や三年坂を越えて、轟川がここまで流れていた名残ということです![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
「清水寺の口」と俗称され
中央の木部分が舌
両側の石部分が歯にあたるとされ
梟の手水鉢で口をすすぐと頭痛、歯痛が治ると云うそうです![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png)
![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png)
はい、これも撮り直してたもの
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230225/18/shouta09/ed/51/j/o0640048015247846778.jpg?caw=800)
ちなみに、見てみましたが、橋は残ってますが、川は全く形跡ありませんでした
その両脇には仏像が
右側・広目天像
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230201/00/shouta09/23/5e/j/o0640048015237122205.jpg?caw=800)
清水寺のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ