久しぶりの清水寺へ(西門)(随求堂) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

レレレの行ってみたらこんなとこ!

散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(1月9日のこと)です
清水寺のことが続きます🙇

仁王門をくぐると見えるのが西門(重文)と三重塔(重文)

まずはその西門をあちこちから

その西門の前の左手には祥雲青龍の像

なかなか厳つくカッコいいおねがい

門の右手には
念彼観音力の石碑(2月撮影)

大西良慶和上が93歳の時に
北法相宗開宗
伽藍の重要文化財指定
本堂の修理落慶
を記念して、昭和42(1967)年に揮毫されたものだそうです
(以降、京都・世界遺産手帳参照)

西門を後ろから

解説
 重要文化財 西門(さいもん) 江戸初期
 寛永8(1631)の再建。三間一戸、正面8.7メートル、側面3.9メートルの優雅な八脚門で、西面して急な石段上に建つ。
 単層・切妻造り、桧皮葺屋根で、正面には向拝をつけ、七段の木階を設け、床と共に高欄をめぐらし、背面には軒唐破風を架ける大層珍しい形式になる。軒は二重繁垂木、斗ぐみは和様一手先出組み。
 左右の脇間に鎌倉様式の写実性と量感ゆたかな持国天と増長天の立像を奉祀する。
 開放されている中央の間は立派な折上小組格天井となり、また随所に勝れた蟇股・虹梁・木鼻などを多く備え、平成5(1993)年丹塗りと極彩色文様が復元され桃山様式の華麗さを再現している。
 拝殿風の華美なこの門からの京都市街・西山の眺望は素晴らしい。勅使門にも使われたが、絶好の洛中展望台とされ、かつ西山に沈む夕日の見事さに西方極楽浄土を観想する日想観拝所となったとも考えられる。前方の仁王門と二門が相並び立つ趣向は格別に意味深長である。
 北法相宗  清水寺
(原文のまま)

西門を見上げる場所の端には岸駒の「虎の図」の石灯籠があります

よく見ると虎が見てとれます👍
岸駒(がんく)によって描かれた虎に、弟子の木津成助が岩と竹を加筆
虎はどこから見ても正面を向くため、「八方睨みの虎」
もしくは、毎夜石を抜け出して水を呑みに出て行くため「水呑みの虎」とも言われているそうです

西門はくぐれないので、その横にある階段から本堂を目指します

左手に鐘楼(重文)を眺めながら上ります
慶長12(1607)年、再建
よく見ると柱が斜めに立っているようです
これは四方転(しほうころ)びという技法が使われて、鐘の重量に耐えるように考えられているということです
現在の鐘は2代目
初代は文明10(1478)年に鋳造され、重文に指定されいます
傷みが激しいため、現在は収蔵庫で保管されているということです
(京都・世界遺産手帳参照)


この背後に鹿間塚という場所があるそうです
これも再訪して撮りましたよ笑い泣き
鐘楼の横には宝篋印塔が何基かありました

奥の宝篋印塔の奥がその鹿間塚かな?🤔
それは坂上田村麻呂が懐妊した夫人の滋養のため捕った鹿を埋めた塚と伝わるものだそうです

階段を上がったとこの右手に地蔵菩薩?
その手前に「くわんぜおん」の石碑がありますが
それは景清の爪彫観音らしいです
それがどれなのか分からなかったのですが、帰って調べてみると、その石灯籠の中に火袋の中に石に線刻された観音像が入っているらしいです
それは平家物語に登場する平景清が清水の観音を厚く信仰し、獄中で爪で石に彫りつけた観音像を奉納したものと伝わっているということです
(京都・世界遺産手帳参照)
これもアップで撮り直してきましたよえー


でも中までは見えない泣き笑い

これは9日爆笑

随求堂(ずいぐどう)
慈心院の本堂
享保3(1718)年再興
御本尊 随求菩薩(ずいぐぼさつ)

こちらでは胎内めぐりが出来ます
 随求堂胎内めぐり
暗闇の中 数珠をたどり 五感を研ぎ澄まして進みます。
やがて淡い蛍光に浮かぶ随求菩薩の梵字「ハラ」に出会いホッと心が癒される。
その石を回して拝み さらに前進して再び太陽の光明を浴びて歓喜。
きっとあなたは心身の新生を覚えるでしょう。
 入口はこちらです
拝観時間 AM9:00〜PM4:00
(原文のまま)

斜めから

ここにも再訪せざる負えないものがありました
正面上部の千鳥破風の雲龍彫刻です

これは鏝(こて)を使って描かれた鏝絵というものなんだそうです指差し

随求堂から上がって、西門の裏へ行ったわけです
その西門から見た市内の光景

遅々として進んでませんが(ので)、清水寺のことがもちろん?続きます🙇
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ