前回からの続き(1月9日のこと)です
清水寺のことが続きます🙇
仁王門をくぐると見えるのが西門(重文)と三重塔(重文)
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まずはその西門をあちこちから
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/47/d7/j/o0640048015237112362.jpg?caw=800)
その西門の前の左手には祥雲青龍の像
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/6f/c9/j/o0480064015237112367.jpg?caw=800)
なかなか厳つくカッコいい![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)
![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/94/4a/j/o0480064015237112370.jpg?caw=800)
門の右手には
念彼観音力の石碑(2月撮影)
北法相宗開宗
伽藍の重要文化財指定
本堂の修理落慶
を記念して、昭和42(1967)年に揮毫されたものだそうです
(以降、京都・世界遺産手帳参照)
西門を後ろから
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/c3/01/j/o0640048015237112373.jpg?caw=800)
寛永8(1631)の再建。三間一戸、正面8.7メートル、側面3.9メートルの優雅な八脚門で、西面して急な石段上に建つ。
単層・切妻造り、桧皮葺屋根で、正面には向拝をつけ、七段の木階を設け、床と共に高欄をめぐらし、背面には軒唐破風を架ける大層珍しい形式になる。軒は二重繁垂木、斗ぐみは和様一手先出組み。
左右の脇間に鎌倉様式の写実性と量感ゆたかな持国天と増長天の立像を奉祀する。
開放されている中央の間は立派な折上小組格天井となり、また随所に勝れた蟇股・虹梁・木鼻などを多く備え、平成5(1993)年丹塗りと極彩色文様が復元され桃山様式の華麗さを再現している。
拝殿風の華美なこの門からの京都市街・西山の眺望は素晴らしい。勅使門にも使われたが、絶好の洛中展望台とされ、かつ西山に沈む夕日の見事さに西方極楽浄土を観想する日想観拝所となったとも考えられる。前方の仁王門と二門が相並び立つ趣向は格別に意味深長である。
北法相宗 清水寺
(原文のまま)
西門を見上げる場所の端には岸駒の「虎の図」の石灯籠があります
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虎はどこから見ても正面を向くため、「八方睨みの虎」
もしくは、毎夜石を抜け出して水を呑みに出て行くため「水呑みの虎」とも言われているそうです
西門はくぐれないので、その横にある階段から本堂を目指します
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左手に鐘楼(重文)を眺めながら上ります
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慶長12(1607)年、再建
よく見ると柱が斜めに立っているようです
これは四方転(しほうころ)びという技法が使われて、鐘の重量に耐えるように考えられているということです
現在の鐘は2代目
初代は文明10(1478)年に鋳造され、重文に指定されいます
傷みが激しいため、現在は収蔵庫で保管されているということです
(京都・世界遺産手帳参照)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230131/23/shouta09/a7/f3/j/o0640048015237114356.jpg?caw=800)
遅々として進んでませんが(ので)、清水寺のことがもちろん?続きます🙇
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ