前回からの続き(10月15日)のことになります
今回は珍しく画像は1枚だけです😁

正面橋の近くの川端通り沿いにはこちらの石碑があります
元和キリシタン殉教の地
住所・京都市東山区川端通正面上ル西側
慶長17(1612)年から徳川幕府はキリシタンの弾圧を始めます
翌年には京都にも波及
大坂夏の陣(1614年)が起こるまで続く
2回目の弾圧は、元和年間(1615〜1623)
その元和5(1619)年、徳川秀忠上洛のとき、伏見でキリシタン投獄者のことを知り、火あぶりの刑を命じ、老若男女を問わず52名のキリシタンがこの地で処刑されたということでした
キリスト教迫害の先駆けの出来事なんだそうです
そしてこれは日本における3大殉教の1つで元和の3大殉教と言われるそうです
他は
長崎の大殉教(1622年・55名)
江戸の大殉教(1623年・51名)
になります
(一部京都石碑データベース参照)

江戸時代のキリスト教の迫害関係のことというと、島原の乱(これは一揆ですが)を思い出してしまいますが、京都市内でもそのような迫害があったとは思いませんでした
ちなみに、ちょうどこの下書きを書いていた頃、日本の島で島原の乱の舞台となっていた天草上島が紹介されていました
訂正🙇
島原の乱の舞台になったのは、天草上島の方ではなく、天草下島の方でした🙏

過去にもそういうキリスト教関係の石碑を見たことがありました
覚えているは下記の2つ

フランシスコチャペル・妙満寺跡 


昔こんな本も買っていました
もう一つの京都  京のキリシタン史跡を巡る
これを読んでいると二十六聖人というのも紹介されていました
二十六聖人というのは、江戸時代に先んずるこ1597年豊臣秀吉によって長崎で26人のキリスト宣教師、信徒らが処刑され、1862年ローマ法王から聖徒の尊称が贈られたことを言うんだそうです
(日本史辞典参照)
その人たちは京都におられて、長崎へ送られたものだったんだそうですびっくり
こんな風に、割りと京都市にもキリスト教関係の場所があるようなので、この本を踏まえていずれボチボチとでも紹介していけたらと思います照れ
とここまで下書きを書いていて、こないだの土曜日に行った「京都モダン建築祭」で教会や石碑を見てきたので、また追々これに関することをアップ出来ることになりそうですウインク

市内のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ