源算上人の隠居所で四宗兼学の場だったお寺三鈷寺 | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(4月16日のこと)です
善峯寺からだと、北門抜けた景色になります
少し歩くと、すぐ山門が見えます

三鈷寺
住所・京都市西京区大原野石作町1323
御本尊  仏目明妃座像画幅
HP  三鈷寺 

札所  京都洛西観音霊場(第5番)
          西山国師遺跡霊場(第12番)
駐車場なし?

駒札
 西山宗の総本山であり、四宗(天台、真言、律、浄土)兼学である。
 平安中期長久3(1042)年叡山の源算上人が草庵をたて、往生院と号したのが当寺の起こりである。二祖観性法橋を経て三祖慈鎮(慈円)から西山上人証空(善慧房)に譲られた。証空は念仏の道場として発展させ、浄土宗西山派をこの山に創始し、背後の山の頂上髢嶽(かもしかだけ)の三峰が法具の三鈷に似てるとこりから寺名を三鈷寺と改め、勅願所に列せられた。証空は宝治元(1247)年入滅、華台廟はその墓所で、証空に深く帰依した蓮生(宇都宮頼綱)が多宝塔を建てた。蓮生には「抱止阿弥陀如来」の縁起も伝えられている。中世を通じて念仏の道場として、証空の法流を伝え、多くの寺領荘園をもち寺運は栄えたが、応仁の乱の兵火により多宝塔以下山内は荒廃し、江戸時代に復興の努力はなされたが旧観には復さなかった。
 五十二代台龍上人が現在の寺観を整備し、昭和26(1951)年西山宗として独立した。建物としては華台廟、本堂等を残すのみであるが、古い由緒を物語る寺宝は多い。また、客殿からの眺めはすこぶる良く、京都市街地まで見渡され、中でも東山にのぼる名月の眺めは関西随一と称される。
 京都市
(原文のまま、一部年号補足)
山門
こちらは裏側の門になるようです

山門くぐったところ


山門くぐった右手に石仏とシャガ

表側へ行く途中にあった祠

庭園

この辺りには鈴蘭があちこちに

本堂

西山善慧上人霊廟の石標

駒札
内容はおそらく最初のと同じようなこととなると思うので割愛爆笑

建物は横に長いです

右・十一面観世音菩薩
左・金身不動明王

表の階段上がったところにあった駒札
 乙訓景観十景
令和元(2019)年度京都府地域交響プロジェクトおよび京都市西京区地域力サポート事業として旧乙訓郡域の後世代に継続して残したい自然景観歴史的文化景観ならび生態景観からなる乙訓景観十景を選定しました。
今後ともこの地域の誇りとする景観の保全と活用を期待します。

 三鈷寺
関西随一の眺望を誇る当山は洛西西山の中腹に位置しています。
比叡山を始めとする東山三十六峰 北山・京都市街・宇治・木津方面まで一望できます。
令和元年12月
 乙訓地名詩編纂「チーム乙訓」
 三鈷寺
(原文のまま、一部年号補足)

こちらも善峯寺と同じように市内が見渡せます



動画も撮ってみました


善峯寺から下山したとき、途中にあった三鈷寺の登山口

登り口のとこには駐車場などはありませんでした

三鈷寺から善峯寺へ戻る時の景色
白山 桜あじさい苑が見えます
桜が咲いてるときは、さぞ綺麗だったと思わせる光景でした照れ

善峯寺の北門へ戻ってきます

こちらから善峯寺へ入山する場合は、こちらに入山料を入れるようです
再入場の場合もインターフォンで呼び出し、再入場の旨を伝えます
すると、回転扉が反対に回り、入れるようになります

この日は住職が居られず、書き置きがあったのでそれを頂きました
京都洛西観音霊場(300円)

西山国師遺跡霊場(300円)

御詠歌(季節限定・500円)
季節限定は何種類がありました

次回も大原野周辺の散策が続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ