小野篁が造ったお地蔵さんの1つがあるお寺(上善寺) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続きです
(令和2年11月1日のことになります)

更に鞍馬口通りを東へと進んでいると、左手に立派な山門が出てきます
上善寺(じょうぜんじ)
住所・北区鞍馬口通寺町東入上善寺門前町338
御本尊阿弥陀如来
霊場 京の六地蔵めぐり
御朱印対応あり

駒札
 千松山遍照院(せんしょうざんへんしょういん)と号する浄土宗の寺院である。
 貞観5(863)年、僧円仁(えんにん)により、天台密教の道場として千本今出川(上京区)に創建されたと伝えられている。その後、文明年間(1469~1487)に、春谷盛信(しゅんこくせいしん)によって再興され、後柏原天皇の勅願寺として栄え、文禄3(1594)年、寺域を現在の地に移し、浄土宗に改められた。
 地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、平安時代の初め、小野篁が一度息絶えて冥土へ行き、生身の地蔵尊を拝して蘇った後、一木から刻んだ六体の地蔵の一つと伝えられ、「鞍馬口地蔵」「深泥池地蔵」「姉子の地蔵」などの愛称で親しまれている。この地蔵は、当初、小幡の里に祀られていたが、保元年間(1156~1159)に、洛北の深泥池のほとりに祀られ、更に当寺に移されたものといわれている。毎年8月22・23日の京都六地蔵巡りには、多くの参拝者で賑う。
(原文のまま)

山門の左手には贈 正四位入江九一外七名首塚
入江九一
1837~1864年
長州藩士
松下村塾で学ぶ
その後、尊攘運動に奔走
安政6(1859)年、捕らえられ萩の岩倉獄に投ぜられるも、その後釈放
文久3(1863)年、高杉晋作を補佐し、騎兵隊を結成
元治元(1864)年、禁門の変で重傷を負い自決する
(幕末維新新人物事典参照)

山門の右手には七番 地蔵尊

山門

山門をくぐってすぐ右手に石像の天道大日如来
入ったときは気にならなかったのですが、帰りによく見てみるとかなりデカイ石像で驚きでしたびっくり
一見石像に見えなかったというのもあったからなんですが(´▽`;)ゞ

その先には石像がいっぱい(゜ロ゜)

更にその先にお堂が2つ

右側は観世音菩薩と書かれています

こちらは六地蔵めぐりの地蔵堂

本堂
山門からは正面となります

本堂の左手側に寺務所があり、その玄関前にプチ庭園がありました

そこには手水鉢も
そこには名号(南無阿弥陀佛)を唱和(となえ)ましょうと書いてありました

こちらで頂いた御朱印です
六地蔵めぐりのとこに以前伺った古とがありましたが、在中されてませんでした😅
六地蔵めぐりの頃はどこも居られるようですが、いつもはそうじゃないみたいなんで、こちらのようにいつ行ってもおられるとこはありがたいと改めて思うのでした照れ

由緒書き


六地蔵めぐりの解説


北区散策は続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ