前回からの続きです
(令和2年11月1日のことになります)
実はこちらも再投稿の記事となります
その昔は行った先々を1つの記事としてアップしてたのですが、後から検索するには単独の方がいい思ったので、そういうものを撮り直し記事をアップし直してます
たんなる個人的な拘りなんで、過去に見たという内容のものも多々出てくると思いますので、そういうのは流してください🙇
同志社大がある烏丸通り沿いにその石碑と駒札があります
薩摩藩邸跡
住所・上京区今出川烏丸上ル
駒札
京・薩摩藩邸(二本松屋敷)
藩主島津氏 石高77万石
日本が未曾有の大混乱に陥った幕末。文久2(1862)年9月、薩摩(鹿児島)藩が相国寺から土地を借りうけ、京都に新たな藩邸を造営する。同志社大学今出川キャンパスの約3分の2を占める広大な敷地の藩邸が御所に近接して誕生した。そして、この場所は幕末京都において、薩摩藩の政治的な重要拠点となっていく。
大政奉還の後、戊辰戦争が勃発。その直後に会津藩士山本覚馬(新島襄の妻・八重の兄)は捕らえられ、ここの藩邸に幽閉された。その折にまとめた建白(通称「管見」)が、京都の近代化の指針として後に影響を与えた。
明治時代になると、京の薩摩藩邸は京都府に接収、民間に売却された。そして人手を経て新島襄が購入した。
同志社大学
(原文のまま)
地図のアップ
薩摩藩邸は、以前にもアップしたように木屋町にもあります→薩摩藩邸跡
その少し先(烏丸通り上がったとこ)には石垣が復元されています
中世相国寺の遺構復元
同志社大学良心館地点の発掘調査(2010~2012)では、中世の相国寺に関わる遺構が数多くみつかりました。京都五山の禅寺の室町~戦国時代の遺構が大規模にみつかることは稀です。ここには、みつかった遺構の一部を移築・復元しています。500年前の京の景観の一部をごらんください。
相国寺水路の石垣
創建(1382年)から間もない時期の相国寺の水路の東岸の一部には、石垣が設けられていました。出土土器からみて、この石垣は15世紀ごろつくられたようです。
一辺1.5mをこえる巨石が組み上げられていて、緑色・青色の庭石が転用されたと考えられます。水路際の建物の基礎周りにつくられた石垣です。
儀式・仏事を行う建物と石垣をもつ水路が組み合わされて庭のような壮麗な景観がつくられていたと考えられます。出土した巨石を移築して、発見された時のままに移築復元しました。500年前の京の寺院の一部がよみがえります。
(原文のまま)
相国寺西辺の石敷道路の復元
上京区散策は続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ