今回も綾部市のことになります
前回の綾部工業団地交流プラザからだと、府道74号線(舞鶴綾部福知山線)を北上します
坂道を下った左手に神社があります
岡安神社・岡安薬師堂
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200606/07/shouta09/c4/5b/j/o0800045014769849823.jpg?caw=800)
今回の選り抜き言葉
晩年、今井宗久は
「大名衆などというても、たかたが働き蜂よ。商人とは才覚がちがうので。もともと、われら五十年のいのちを大切にして、遊山をなぐさみ、女ぐるい、食物ごのみも自儘にしようと思うゆえ家業にも精をだしておるのじゃが、はてさて、商人というのは果報なものじゃ、乱世になればなったで、われらの屋敷に黄金が舞いこんでくる。世が治まれば治まったで、また利を稼ぐ…これでは、戦さかせぎに大事のいのちを芥のように捨てなさる侍衆が阿保にみえてならぬわ」
と、いっという。
(戦国を駆けるP122より神坂次郎著)
今井宗久は戦国・安土桃山時代の堺の茶人・豪商
1520〜1593年
織田信長に取り入って?、信長の所領の代官などもつとめる
のちに、信長の茶頭、豊臣秀吉の茶頭に
津田宗及、千利休と並んで三巨匠に数えられる
(日本人名事典より抜粋)
今回は名言とかではないですが、戦国期とかの商人が武士をどんな風に見ていたのかということを書き出してみました
これは江戸末期になっても、そんな感じはあったかもしれません
武士は貧乏で、商人は力を持ってきていたようですから😅
これは現代でも創業者(経営者)と、雇われてる者との立ち位置に似ているかもしれません🤔
次回からは春先に行ってた舞鶴のことや、京丹波の蔵出しをしていきたいと思います🙇
また地味な記事が続きますが、良かったらお付き合いください😌
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ