丹波国神社めぐり-綾部市-(岡安神社)(岡安薬師堂) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

レレレの行ってみたらこんなとこ!

散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

今回も綾部市のことになります
前回の綾部工業団地交流プラザからだと、府道74号線(舞鶴綾部福知山線)を北上します
坂道を下った左手に神社があります
岡安神社・岡安薬師堂
住所・京都府綾部市岡安町田中11
御祭神  大日孁女命

道沿いには、薬師堂の案内板がありました
鳥居の右側の建物が薬師堂でございます。
「特に、耳や目にはご利益があるといわれています」
(一部抜粋)

階段を上がった先に一の鳥居

正面に岡安神社

狛犬


平成16年

その横に岡安薬師堂

解説もありました

境内から見た景色
今回で綾部市の蔵出しは終わりました照れ


今回の選り抜き言葉
 晩年、今井宗久
「大名衆などというても、たかたが働き蜂よ。商人とは才覚がちがうので。もともと、われら五十年のいのちを大切にして、遊山をなぐさみ、女ぐるい、食物ごのみも自儘にしようと思うゆえ家業にも精をだしておるのじゃが、はてさて、商人というのは果報なものじゃ、乱世になればなったで、われらの屋敷に黄金が舞いこんでくる。世が治まれば治まったで、また利を稼ぐ…これでは、戦さかせぎに大事のいのちを芥のように捨てなさる侍衆が阿保にみえてならぬわ」
と、いっという。
(戦国を駆けるP122より神坂次郎著)
今井宗久は戦国・安土桃山時代の堺の茶人・豪商
1520〜1593年
織田信長に取り入って?、信長の所領の代官などもつとめる
のちに、信長の茶頭、豊臣秀吉の茶頭に
津田宗及千利休と並んで三巨匠に数えられる
(日本人名事典より抜粋)
今回は名言とかではないですが、戦国期とかの商人が武士をどんな風に見ていたのかということを書き出してみました
これは江戸末期になっても、そんな感じはあったかもしれません
武士は貧乏で、商人は力を持ってきていたようですから😅
これは現代でも創業者(経営者)と、雇われてる者との立ち位置に似ているかもしれません🤔

次回からは春先に行ってた舞鶴のことや、京丹波の蔵出しをしていきたいと思います🙇
また地味な記事が続きますが、良かったらお付き合いください😌
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ