日蓮宗を京都市内に広めた僧が祀られてるお寺(寳塔寺) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続きです
令和元年11月3日のことです)

この日最後に訪れた場所のことになります
大雲寺を出て、せっかくなので寳塔寺も寄ることにしました
住所・伏見区深草宝塔寺町32
駐車場あり

解説(山門の駒札より)
 深草山と号する日蓮宗の寺院である。
 寺伝によれば、藤原基経(もとつね)が発願し、昌泰2(899)年に藤原時平が大成した極楽寺に始まるといわれる。当初は真言宗であったが、徳治2(1307)年に住持の良桂(りょうけい)が日蓮の法孫日像(にちぞう)に帰依して日蓮宗に改めた。
 また、日像が京都に通じる七つの街道の入口に建てた法華題目の石塔婆の一つが、当寺の日像廟所に奉祀されたことにちなみ、寺名を宝塔寺と改称したとされる。本堂(重要文化財)は、江戸初期の1608年の創建で、本尊の十界曼荼羅、釈迦如来立像、その左右に日蓮・日像の像が祀られている。行基葺の多宝塔は永享10(1438)年以前に建立されたもので、室町時代中期建立の四脚門(総門)とともに、重要文化財に指定されている。
 境内には、肺病治療の名医で、肺病平癒の信仰を集める宗有(そうゆう)とその妻妙正の墓かあり、夫婦塚と呼ばれている。また、本堂背後の七面山には、寛文6(1666)年に勧請された七福吉祥の七面大明神を祀る七面宮があり、そこからの眺めは素晴らしい。
(原文のまま)
補足
藤原基経
836~891年
史上初の関白

極楽寺は、源氏物語第三十三帖「藤裏葉」の舞台になったお寺

日像上人
1269~1342年
日蓮上人の遺命を受け、法華宗門で初めて京都で布教された僧
度重なる法難にも耐え、ついには後醍醐天皇より綸旨、光厳上皇より院宣を賜る
京都の法華宗門が後に「京中おおかたお題目の巷」と称されるほどの隆盛を極める原動力となる
(由緒書きより)

大雲寺を出て、左の階段を登っていきます
すると、その途中の左手に荼毘所
こちらは日像上人が荼毘にふされたとこのようです

今度は右手に廃寺跡

了性院、本久院、深信院という寺院があったようです

仁王門
丹波亀山藩の藩主・松平信庸が母の菩提のため、宝永2(1705)年に起工、建立
仁王像には寛文10(1670)年の墨書きが残る
(由緒書きより、以下の解説も同じ)


天井には多くの牡丹が描かれていました♪
仁王門の天井がこんな花天井になっているのは初めて見たと思います
行かれたときは上を見てみてください♪(*´▽`*)

仁王門をくぐると、正面に本堂(重文)が見えます

左手に解説
駒札と同じような解説なので、ここは割愛😜

本堂は慶長13(1608)年に中興の祖・日銀上人が再建
日蓮宗寺院の本堂としては稀に古く、重要な遺構



本堂の右手に多宝塔(重文)があります
夕方立ったので、残念ながら薄暗く写ってます😖
建立年代は不明
永享10(1438)年の墨書きが残る
京都市内に現存する多宝塔としては最古層に属する
屋根は行基葺きで、南都元興寺など、国内に数例しかない

本堂の前に慈母観世音菩薩像

本堂の前から動画撮りました


本堂・左手にある方丈へ向かいます
高麗門

鐘楼

山門には立派な鬼瓦ラブ

方丈

帰りの坂からの光景

こちらで頂いた御首題です
この日はご住職がおられなかって、書き置きの対応となりました

由緒書き
由緒書きには境内図もあり、記事を書くのに見てると、本堂の裏手(七面山)にもまだ見るべきとこがあるようでしたガーン
それはまた次回の宿題ということにしておきますニヤリ

これで去年の11月3日の散策はお仕舞いです(..)
次回は丹波市のプチ散策になります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ