第54回 京の冬の旅その3 国宝2つが間近で見れました(大徳寺・法堂・方丈・唐門) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

レレレの行ってみたらこんなとこ!

散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回の散策の続きです
今回は(も)ちょっと解説多めです

時間が近づいてきたので、京の冬の旅で特別公開してた大徳寺へ向かいます
南門
住所・京都市北区紫野大徳寺町53
大徳寺は特別公開や塔頭などへも何回か足を運んでいます

石畳の参道

その先にあるのが勅使門(重文)
この頃はまあまあの雨(^^;

勅使門の向こうに三門(金毛閣・重文)

この三門、千利休が自分の像を上層部に安置して、秀吉の怒りをかったため自決することになった(諸説あり)と言われてることで有名です
この三門を全部建てたのかと思ってたら、初層は大永6(1526)年に建立され、天正17(1589)年に千利休によって上層が完成されたということです
天井には長谷川等伯の龍の絵があるそうです
(京都大知典参照)

その近くには平康頼の塔(供養塔)
この前を通るたびに、なんでこんなとこに平家に関係する人物の塔があるのか?と思ってました
で、今回調べてみると
平康頼
1146?~1220年
十代で平保盛(平清盛の甥)の家人となる
のちに主君から平姓の賜与を受けたらしい
主君の代わりに尾張へ目代として派遣されたとき、敵将である源義朝(源頼朝の父)の墓が荒れていたのを修復
この行動が称賛され、後白河上皇の目に留まり近習に取り立てられる
安元3(1177)年、鹿ヶ谷の陰謀で捕縛され、俊寛らと共に島流しに
この時、出家して性照となる
治承2(1178)年、島から卒塔婆に望郷の想いを込めて流したのが目に留まり、赦免され帰京
雙林寺で仏教説話集「宝物集」を編集執筆
平家滅亡後、文治2(1186)年に源頼朝により保司に任命される
歌人としても「千載和歌集」にも採録される
(Wikipedia参照)
と調べても、大徳寺とは関わりが出てこない( ̄▽ ̄;)
仕方ないからググってみると、記事で書かれてるものがあり、それによると
康頼が書いた宝物集は念仏僧に重宝されたため、その近くある雲林院が念仏僧が集まるとこだったので、そこに供養塔が建てられたんじゃないか⁉という話でした

三門を後ろ側から

仏殿を正面から
寛文5(1665)年の再建
天井画は狩野元信筆という
(京都大知典参照)

仏殿の前にはイブキ
解説

その先に庫裏・方丈があります

駒札
大徳寺
元応元(1319)年(諸説あり)に大燈(だいとう)国師が小院を造立したのが起こり
正中2(1325)年、花園上皇後醍醐天皇の祈願寺となる
元弘3(1333)年、京都五山の上位に列せられる
至徳3(1386)年、足利義満により寺格を十刹の9位に下げられる
永享3(1431)年、十刹の位を辞して在野の禅寺となる
(京都大知典・京都大事典参照)

今回の特別公開は法堂・方丈・唐門

庫裏から入ります
撮影は一切禁止でした
今回は違うかなぁと期待してたのですが、以前と同じでした( ´~`)

拝観券

方丈は国宝
普通は6間(室)なのが、こちらは8間(室)と2つ多いそうです
それは大燈国師の墓所だったかの分というようなことでした
寛永13(1636)年、京都の豪商・後藤益勝の寄進により再建
襖絵84面は狩野探幽筆で重文
方丈前庭は天祐和尚、東庭は小堀遠州作庭
特別名勝庭園
今回は方丈裏は見ること出来ませんでした
ちなみに方丈へ向かう途中にある応接セットは明治天皇か皇后さまが来られたときに使われたものということでした
(由緒書き参照)

法堂(はっとう・重文)
寛永13(1636)年、小田原城主・稲葉正勝・正則親子の寄進により再建
天井には狩野探幽筆の龍が描かれています
ここの龍もやはり?鳴き龍
で、解説してくれたおっちゃんに曰く、ここのが一番鳴くと
キョロキョロまたまたぁ、どっこも一緒ちゃうの⁉
と思うも、催促され、叩いてみると
Σ( ゚Д゚)
確かに響きが違う!
気がする(笑)
最後までワンワン言ってる気がしました!
で、他と違うような?と話てたら、ここのは(他はどうか知りませんが)天井がドーム型になっているということでした

次に向かったのは唐門(国宝)
ここは以前にも行って見ています(以前の記事も文字だけ)
実は行ってないと思ってたら、そのとき法堂も見ていたようです
唐門は覚えてましたが、法堂はすっかり忘れてました(;^_^A
唐門は前回と(たぶん)違い、かなり間近で見ることが出来ました♪ラブ
由緒書きの表紙がその唐門
こちらも聚楽第の遺構
日光東照宮の日暮門の模型となっいるそうです
京都三唐門の一つ
他は西本願寺、豊国神社となります
解説を聞いていて面白かったのが
彫刻を見ると鯉の尻尾が正面にありますよね⁉
柱の先に頭が出ています(笑)
そしてその先が龍
確か鯉が登って龍となるということだったと思います
他にもいろんな動物が彫られていて、こちらも日暮門の異名も伊達じゃないなと
Σd(・∀・´)
ちなみにこちらで聞いたのが、彫られている対の動物は阿吽になっているということでした!
そして法堂に彫られていた狛犬もそうでした
これからはそこら辺も気をつけて見てみたいと思いました照れ
御朱印は以前頂いたのと同じだったので頂いていません
御朱印は以前の記事をご覧ください(..)→大徳寺

次回はプチ食べログを挟んで、冬の旅のこととなります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ