西本願寺周辺の石碑いろいろ(中井正五郎殉難之碑)(左女牛井之跡)など | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続きです
くろちくで昼ごはんを食べたので充電完了ニヤリ
西本願寺の総門の通りへ入り、次の通り(油小路通り)を北上
その通り沿いにはオシャレな宿屋さんが点在していました照れ
やはり門前町だから宿屋さんも多いのでしょうか⁉

歩いていると左手に見えたのが祠の近くにある石碑

中井正五郎殉難之碑
中井正五郎(1847~1867)は十津川郷士
上洛後、尊攘派と親交があり、坂本龍馬・中岡慎太郎を敬愛していたという
慶応3(1867)12月7日、坂本・中岡暗殺の首謀者とみなされた紀州藩士三浦久太郎陸奥宗光らと共にこの地にあった天満屋に襲撃
護衛の新選組と戦って倒れる
その終焉の地を示す
(フィールド・ミュージアム京都 いしぶみデータベース参照)
なぜ中井らは紀伊藩士の三浦を襲ったかと言うと、坂本らが亡くなる前に海援隊と紀伊藩とで船の衝突事件がおき、このとき紀伊藩が多額の賠償をさせられたことに恨みをいだいていて坂本らを暗殺したという噂が立っていたからだそうです
(京都事典参照)

そこから北上して次を右折するとすぐに堀川通りに戻ります
そこを北上したらガラス張りのオシャレなビル
1階にはローソンが入っていて、上には風俗博物館があります
が、風俗博物館はこの日は残念ながら休館でした
風俗博物館へ行くのは後日となりました( ̄∇ ̄*)ゞ

その横はイスなんかもあり、庭園(ガラスの向こうだけど)になってました



不思議なオブジェも(笑)
ここの中のプレートには左女牛と書かれています
その理由はのちほど判明

堀川を反対に渡るって歩いてると、木の中に石碑を発見(笑)


是より南 六条御境内(道標)

木の駒札もあったのですが、これじゃあ読めないえー
残念ながらフィールド・ミュージアム京都のいしぶみデータにも解説ありませんでした

そこから北上してすぐにあるのが左女牛井之跡


こちらは微かに読めますが
いしぶみデータを参照にして書くと
左女牛井もしくは醒ヶ井(さめがい)は京の名水の1つ
源頼義(988~1075)がこの地に築いた源氏六条堀川邸内の井戸
第二次大戦中、堀川通りの拡幅により消滅したそうですショボーン

堀川通りから西へ移動していると、確か花屋敷町通りの一つ上の通りで見つけたのは何故か前に行った本國寺の御題目標?

ていうか、移転する前というのがこの辺りにあったってことなんでしょうね
f(^ー^;

京都散策続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ