プチ大山崎散策 油座の長として栄えたことがある神社(離宮八幡宮 ) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続きです
島本町から更に北上して大山崎へ来ました
マンホールカードは貰ってたので(その時の記事→大山崎町)、駅のスタンプを貰いに(これもアップ済み)行くと、すぐ近くに神社があったので寄ってみることにしました
時間はギリギリでしたが(^^;

離宮八幡宮
こちらの門から入って車を置くことが出来ます
たぶんこれは惣門で大山崎町指定重要文化財
戦火を免れ現存するものの1つのようです
もう1つの東門も町重文

駐車場からすぐに鳥居、拝殿があります
この画像で言うと、左手が駐車場(無料)

鳥居の左手に手水舎


ここからは鳥居と反対側(道路側)にあるもの
塔心礎(とうしんそ)


解説


逆光で分かりにくいですが、神馬


手水舎の反対側くらいに油祖像


解説

こちらの神官が神勅により油しぼり道具を作られ、荏胡麻(えごま)油を大量に作れるようになったそうです
これが後に製造・販売の独占権が認められたため栄華を極めたそうです
これが油の祖ということであり、油座の長として栄えたということです
ちなみに昔は○○座とかの独占権が認められていました
これを打ち破ったのが織田信長楽市楽座なんです
信長が寺社と対立した背景には、この座(利権)を巡る争いもあったようです
既得権を死守する者と、それを解放しようとする者
これは現在でも通じる話なんじゃないでしょうか⁉

河陽宮故址の碑

こちらは嵯峨天皇の離宮跡でもあったそうです
その離宮跡に貞観元(859)年、清和天皇の命により、行教が九州の宇佐八幡から分霊を石清水八幡宮へ勧請する際、この地に心霊がとどまったことが創建の云われということです
当初はここが石清水八幡宮として建立されたとか⁉びっくり
後に離宮跡に建ったため、離宮八幡宮と呼ばれるようになったそうです
(京都府の歴史散歩参照)
離宮が付くのはなるほどと思いましたが、石清水八幡宮の前身?というのは驚きでした!

手水舎


こちらをくぐって拝殿へ向かいます


狛犬




石碑


拝殿
こちらの右手に社務所があります

離宮八幡宮の解説

拝殿の左手には多くの境内社

参拝した後に駅へ向かう方にあった門が東門




東門をくぐると、こんな風に石灯籠が並んでいます

この先の右手が拝殿となるわけです

離宮八幡宮はこんな塀で囲われています
この先(左側)が一番最初の画像の鳥居になります

こちらで頂いた御朱印

もう1つ頂けます
こちらの御朱印は境内社のものかと思っていたら、天王山にあるようです(^^;
そう思ってなかったのでまたちゃんとお詣りにいかなくちゃf(^ー^;

書き置きを頂いたので袋に入れてくれたのですが、そこには油祖像が( *´艸`)

由緒書き

お守りがまさにここらしかったので購入
油断大敵お守り!爆笑
(800円)

こんなに言葉と合致するとこもそう無いんじゃないでしょうか⁉(笑)

こちらのホームページ→離宮八幡宮

これで長かった1月21日の散策を終わります
最後までお付き合いくださった方ありがとうございました(^o^)
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ