前回からの続きです
島本町から更に北上して大山崎へ来ました
マンホールカードは貰ってたので(その時の記事→大山崎町)、駅のスタンプを貰いに(これもアップ済み)行くと、すぐ近くに神社があったので寄ってみることにしました
時間はギリギリでしたが(^^;
離宮八幡宮
こちらの門から入って車を置くことが出来ます
たぶんこれは惣門で大山崎町指定重要文化財
戦火を免れ現存するものの1つのようです
もう1つの東門も町重文
駐車場からすぐに鳥居、拝殿があります
この画像で言うと、左手が駐車場(無料)
鳥居の左手に手水舎
ここからは鳥居と反対側(道路側)にあるもの
塔心礎(とうしんそ)
解説
逆光で分かりにくいですが、神馬
手水舎の反対側くらいに油祖像
解説
河陽宮故址の碑
こちらは嵯峨天皇の離宮跡でもあったそうです
解説
逆光で分かりにくいですが、神馬
手水舎の反対側くらいに油祖像
解説
こちらの神官が神勅により油しぼり道具を作られ、荏胡麻(えごま)油を大量に作れるようになったそうです
これが後に製造・販売の独占権が認められたため栄華を極めたそうです
これが油の祖ということであり、油座の長として栄えたということです
ちなみに昔は○○座とかの独占権が認められていました
これを打ち破ったのが織田信長の楽市楽座なんです
信長が寺社と対立した背景には、この座(利権)を巡る争いもあったようです
既得権を死守する者と、それを解放しようとする者
これは現在でも通じる話なんじゃないでしょうか⁉
こちらは嵯峨天皇の離宮跡でもあったそうです
その離宮跡に貞観元(859)年、清和天皇の命により、行教が九州の宇佐八幡から分霊を石清水八幡宮へ勧請する際、この地に心霊がとどまったことが創建の云われということです
当初はここが石清水八幡宮として建立されたとか⁉
後に離宮跡に建ったため、離宮八幡宮と呼ばれるようになったそうです
(京都府の歴史散歩参照)
離宮が付くのはなるほどと思いましたが、石清水八幡宮の前身?というのは驚きでした!
こちらのホームページ→離宮八幡宮
これで長かった1月21日の散策を終わります
最後までお付き合いくださった方ありがとうございました(^o^)
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ