「怒る」リーダーシップ ―前復興大臣恫喝を受けて | ■■■現役商社マン/武浪猛の商社マン流人生指南■■■     若き血に燃ゆる者たちへ!

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このままじゃ、日本国は滅亡の国家に成り果てる。 世界の中で揉まれてきたオレは、オレ流の武士道というものを育んで来た。オレの言葉が、少しでも君ら若者の心に刺さればと思って、オレはこのサイトを立ち上げた。 さぁ、この国を元気にしようじゃないか。

Twitterでも、メールでもあの復興担当相の辞任問題についてどう思うかと聞かれていた。


このニュースを起点に、彼自身の品格のなさ、人間性への批判、マスメディアの隠蔽体質(翌日の新聞では、各誌がちゃんと「オフレコ指令」を守っているんだから、笑ってしまうよな)、地方の中央依存構造、逆の視点で清廉潔白偏重の世論への批判など、様々な論点で議論が巻き起こっている。


実は、すぐにオレなりの意見をBlogにアップすることを控えていた。なぜならば、報道される映像だけから、とても彼の性格、手腕、人間性を判断して批判することは難しいと思ったからだ。もちろんビジネスの場面では、暗闇の中で即断即決をしなくてはならないシーンが多々あるが、本件は世間で騒ぎに短絡的に飛びつく類の話ではない。


一つ、読者の皆さんに言いたいのは、もし今回の騒動について、何か一つの論点だけに飛びついているなら、自分の思考の癖を注意した方が良い。物事を一つの視点から単一的にしか見られないのは、とても不幸な人生を生きていることであり、今後の大変化して行く世界を生き抜くことはできない。



上記の単一的視野の問題について少し補足すると、商社パーソンは、原材料、メーカー、中間流通、最終顧客などのサプライチェーン上の各プレイヤーの視点、また産業、国家というマクロ的な視点など、多数の視点から複数ある事実を見つめ、真実を見抜く戦略的複眼発想が必須能力だ。


今回の件でも、

「あの大臣の発言は、品がないな。辞めて当然だ」

で思考停止していたら、

「□□クンが、○○ちゃんの悪口を言った!ちゃんと謝って」

と言っている小学校の学級委員と変わらないレベルだ。



元大臣が叩かれていたが、オレの経験上、日本の組織で権力、権威というものに近づけば近づくほどああいうちょっと変わったお爺さんが多くなるのは事実だ。



ただ、一つ言っておくと、日本の老人らとは違った意味で、世界のリーダー達が、どれほど短気で恐ろしいものか、それでありながら同時に一方で、凄まじい魅力的なカリスマ性を持っているものかというのは知っておく必要があるだろう。オレのビジネススクール時代に知り合った別のスクールのアメリカ人が、その後、かのApple社のスティーブ・ジョブスの下で働いていたことがあるのだが、不機嫌なスティーブは大の大人が震えてしまうぐらいすさまじく怖かったそうだ(彼は、今は西海岸でのんびりベンチャー投資をやっているが)。



今回の彼の発言/行動だけで彼の人間性の欠如、品格の無さに結論を導くのは、あまりにも軽薄な態度であることは先に書いた通りだ。オレも、ここで彼の人間性、品格を論じるつもりは毛頭ない。彼なりの事情があったのかもしれない。


ただ、復興をリードするリーダーとして何がまずかったについては、明確に書くことができる。それについて述べさせて頂きたい。


組織を率いるリーダーたるもの、「怒る」「叱る」と言う感情表示は、伝家の宝刀がごとく抜いて許されるリーダーと、そうじゃない無能者がいることを理解することが大事だ。同じ怒ると言っても、単に自分の機嫌を露にして周囲を萎縮させ、反感を買ってしまう無能者と、自分の覚悟、情熱から沸きあがる感情を爆発させ周囲の気持ちを一変させるのは、まったく別次元のものだ。怒るとは、一種のアートなのだ。


これは架空の話しとして、例えば知事がちゃんと復興へ向けて全力を尽くしていなくて(事実は知らないが、とても真剣な方だとは聞いている)、それを復興大臣が密室で知事に覚悟を求めるために叱り飛ばすなら、それは必要な姿勢だろう。そして、知事に復興に全力を尽くす握りをしっかりした上で、メディアの前ではニコニコと「知事の復興への熱い想いを確認できた」「復興へ向けて、地方・中央の二人三脚でやって行きたい」とやれば、こんな騒ぎにはなっていたかったんだじゃないだろうか?



オレも、これまで多くの部下を事業会社、投資先にそれなりの経営ポジションで派遣してきた。また、オレ自身も何度か海外を含めた子会社の経営をやっていたことがある。


言葉も文化も発想も違う人々をモチベートして、最大限の成果を出してもらい、そして大きなチャレンジに打ち勝つ。そのためには、リーダーは会社、個人、事業への「コミットメント」や「覚悟」をするしかない。


「オレは、お前の幸せな生活を実現させるために、会社を絶対に大きくしてみせる」


「この事業は世界を変える絶対に意味のある事業だ。何が何でも成功させる」


こんな気持ちを24時間、常に周りに言葉でも、何より雰囲気でも伝え続ける。いや、心底、そう想い込んでいれば、自分の周囲には自然と伝わるものだ(現場まで伝えるには、そのための努力、施策も不可欠だが)。だから、時にこの想いに対して不甲斐無い働きしかしない者に怒りを爆発させても、

「このリーダーは、ここまで本気なんだ」

とわかってもらえる。



と言葉で書くと、とても単純だが、これが本当に難しい。うまくいかないことで悩んだり、落ち込んだり、自分を責めたり、でもリーダーは部下の前で弱い姿を見せられない。信じられないくらいの労力と精神力を要する、すさまじく孤独な仕事だ。



だって、本当にオレがこの会社を大きくして、部下の幸せな生活を確保させられるかどうかなんて、冷静になって考えればわからないわけだ。ただ、そうだと何より自分が一番、信じ込んで、目の前の暗闇を突進して行くしかない。だが世は無情なことに、うまくいった時もあれば、うまくいかなかった場合もあった。自分としてやれることはやり尽くしたはずなのに、うまくいかない場合は、途端に人は離れていく。責められ、陰口を叩かれ、つらい時期もあった。


湿っぽくなってしまったが、オレが言いたいのは、恫喝をして相手を屈服させるのがリーダーの役目ではない。未曾有の災害から復興を成し遂げるという、誰もチャレンジしたことのない壮大な「事業」をやり切るには、想像を絶する心の強さとコミットメントが必要だ。果たして今の政権の中にそう言う人がいるのかと書いてしまうと、一評論家に過ぎない自分がもどかしい。



オレはせめてオレなりのやり方でビジネスを通じて、日本復興に全力を尽くす気持ちだ。オレの周囲でも、頭の良い連中は続々と日本を脱出する準備をしているが、オレは目の前にノアの箱舟のチケットを差し出されても、日本から逃げるつもりは毛頭ない。


Takeshi Takenami