大日寺涅槃会 | 奈良 聖林寺ものがたり

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奈良の聖林寺 国宝十一面観音立像の光について
四十年来光背(光)の研究をしています。

朝早くからお隣さんは、大日寺にでかけたようで、半時間あとから、田んぼの畔を伝って、川向こうの大日寺さんへ私もでかけました。
今日は、大日講とお釈迦さまが亡くなられた日の涅槃会です。
私は初めての参加で、老人会の方のお手伝いです。60歳を過ぎると老人会に入る資格があるのですが、まだ60代は忙しいらしく、皆さん全員70代は過ぎておられます。和気あいあいと前の日から、干し椎茸、ニンジンピースなど、炊き込まれ、二升のご飯がホカホカ美味しく炊かれ、薄焼き卵に紅しょうが、チリメンジヤコにイリゴマ、上手にすし酢を調合して、それはそれは美味しいちらし寿司と、豆腐のお澄ましが、昼前には出来上がりました。
すると、別に大日寺の地元の方々が、鮮やかな涅槃図の掛軸、野菜や果物のお供えを沢山もちこまれ、涅槃会の準備です。どこかに大事に仕舞われているらしく、江戸時代元禄六年酉年二月に作られたとの書き付けがあり、更に昭和56年、聖林寺のお祖父様の住職の名前で、表装など修理をしたとあります。大日寺は聖林寺の末寺です。
集まった皆さんがちらし寿司のお昼を頂いて、綺麗に片付けて、ユックリしている1時半、聖林寺のご住職とご長男がこられ、法要が始まりました。その頃には小さな子供達が十人ほども集まり、大人も含めて、お堂の中に40人もの人達が皆さんで、般若心経から、難しいお経をとなえます。

伝統の素晴らしさを身に沁みて感じました。今のお経本にはひらがながうってありますが、昔の人達は、お寺に集うことで、お坊さんのお話を聞き、小さな子供もチョロチョロしながら身に付けたものの尊さを思いました。

それから、読経の間に皆さんで、お焼香箱が廻され、小さな人達もいっちょまえに小さな手でお香を摘まんで、パチンと手を叩きます。

それからが、大変でした。私は情けないことに、腕が痛くなり、途中脱落しましたが、皆さんで、大きなお数珠を時計回りにまわしながら、ナンマイダプと唱えながら、およそ40分ほど、まん中には、一際大きい数珠玉に白いふさが付いていて、そこか自分の前にきたら、頭をさげて、手を頂いて、50回。
大人達も子供達も一生懸命、ときどき励ましの間の手に笑いが興ります。
数える係りもいますが、まん中に鐘を叩く人もいて、毎年の事とは言え、大変です。昔は百回回していたそうです。鐘のひびきと、ナンタイダの読経の声、集まった人達が心合わせる素晴らしい気持ちの良い空間です。若い人も年取った人も小さな人も、ひとつの祈り、お釈迦さまへ、御先祖さまへ、そうして、すべて行き歳いけるものへの平和の祈り、無心に祈るこの小さなお堂の中は、なんとも言えず、ほっこりと温かでした。

最後に小指の先ほどに小さく丸まった子餅まきです。写真を撮るつもりが、足元に落ちてくるお餅に気を取られ、しっかり写真がとれないしまつ。大人も子供もワイワイ楽しいことでした。昔はお餅を直にばら蒔いたそうですか、今は、三個ほどを小さなビニールに入れてあります。子供が喜ぶようにと、余計に数多く仕込む大人もいました。子供達には懐かしい想い出になることでしょう。

なんとも、爽やかな心地で、田んぼの畔を、聖林寺のご住職たちと、歩いてもどりました。いつまでも、このお祭りが続きますようにと祈ります