前回のブログに、

私の脳出血での入院について書きましが、

その事は自分の人生を振り返る

ひとつの契機となりました。

 

 

 

入院中に娘が持ってきた本の中に

芥川龍之介の『父』がありましたが、

その小説は10代の頃に一度読んでおり、

60代になって再び読むことになりました。

 

 

 

私が17才の時に父が亡くなり、

翌年子の立場で『父』を読み、

今回は親の立場で読むことになり、

移りゆく年月を感じました。

 

 

 

人生の中で父の事については

何かと避けようとしてきましたが、

死ぬ前に一度向き合うべきであり、、

その機会が与えられたように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

『父』のあらすじは芥川が中学4年の時に、

日光から足尾へかけて3泊の修学旅行が計画され、

生徒たちが出発日に上野停車場に集合した時の話です。

 

 

 

能勢という級友は人を笑わせるのが得意で、

その停車場にいる職人や婦人などについて、

面白く何かに例えては批評を始めました。

 

 

 

その批評はユーモアに富み可笑しくて、

級友たちは大喜びで、

その場は盛り上がりました。

 

 

 

そこで一人の級友がある男性を指さし、

能勢に彼に対する批評を求めました。

 

 

 

そこにいた級友たちは期待を膨らまし、

能勢を見つめ彼の面白い批評を待ちました。

 

 

 

その人物は現代に乗り遅れた風な格好をして、

懐中時計を手に時刻表を眺めていました。

 

 

 

実は級友に指さされた男は能勢の父であり、

芥川のみがそのことを知っていました。

 

 

 

芥川がそのことを指摘する前に、

「あいつはロンドンの乞食さ」と、

能勢は評してしまいました。

 

 

 

その批評を聞いた級友たちは爆笑し、

その男のものまねをする者もいて、

芥川はあまりに痛々しくて

能勢の顔を見ることはできませんでした。

 

 

 

能勢の父は修学旅行に行く息子の姿を

出勤の道すがら見ようと思って、

わざわざ停留所に来たようです。

 

 

 

その後、能勢は中学を卒業すると間もなく、

肺結核で亡くなりました。

 

 

 

能勢の追悼式は中学の図書室で挙げられ、

制服を被った彼の写真の前で、

「君、父母に孝に」という句を入れて、

芥川が悼辞を読みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

父と能勢の気持ちはどうであったのか?

これは私の想像でしかありません。

 

 

 

停車場で父の姿を見た能勢の心には、

驚きや嬉しさや恥ずかしさなどが

同居していたように思います。

 

 

 

能勢も級友との間に社会があり、

そこは場を白けさせないように、

父を茶化すしかなかったかもしれません。

 

 

 

また芥川が能勢の顔を直視できなかったのも、

級友の期待に応えるために無理をしている

能勢を慮ってのことでしょう。

 

 

 

能勢の父は出勤の道すがら親心として、

3泊の修学旅行に向かう成長した息子の姿を

覗いてみたかった気持ちも理解できます。

 

 

 

息子には知らせずに懐中時計を片手に

息子の乗る列車の時刻を探している父と

恥ずかしい父の姿を前にして、

自分の気持ちに反して批評してしまった息子。

 

 

 

しかし間もなく息子の死という形で、

父子の関係は途絶えてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

この父子のエピソードは、

何故か私の心に沁みてきます。

 

 

 

10代の頃父を亡くし、

60代で父と同じ病気で入院し、

そして再びこの小説を手にし、

生前の父を思い出すこととなり、

そこに何か意味を感じます。

 

 

 

その続きは、次回書いていきます。

 

 

 

 

 

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