池上彰著『日銀を知れば経済がわかる』という書籍を紹介する。  経済成長を支える政策には財政政策 | 松陰のブログ

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池上彰著『日銀を知れば経済がわかる』という書籍を紹介する。

 経済成長を支える政策には財政政策と金融政策があります。その金融政策を実施する上で日本銀行の果たす役割が非常に大きいです。私はイギリスの偉大なる経済学者のケインズを尊敬していますので、財政政策を重視しているように誤解されるかも知れませんが、現実の問題として財政政策も金融政策も両方とも重要であり、財政政策と金融政策に優劣をつけることは鶏が先か卵が先かというぐらいの愚問です。また、私は経済学が好きなこともあり、何冊も金融の書籍を読んでいるので記載されている内容は知っていることが多かったのですが、『週刊こどもニュース』の池上彰氏らしい分かりやすい説明で金融政策の要である日本銀行のことを記述しているので、これから日本銀行のことを知りたい方々には良い指南書になる書籍だと思います。再度申し上げますが、日本銀行が日本経済に与える影響はものすごく大きいです。経済を学ぶ上で日本銀行を知ることはとても重要です。

 日本銀行には、「銀行の銀行」、「政府の銀行」、「発行銀行」という三つの役割があります(38頁参照)。「銀行の銀行」に関して、日本銀行は金融機関がお金を預ける銀行です。私達が銀行や信用金庫などに預金口座を持ち、お金を預けることができるように金融機関は日本銀行にお金を預けています。金融というのは信用で成り立っています。信用が崩れれば、金融秩序全体が危機にさらされます。それを避けるために、日本銀行は「銀行の銀行」として最後の貸し手の役割をも果たします(47頁参照)。「政府の銀行」に関して、私達が国に納める税金や社会保険料は、銀行や郵便局を経由して日本銀行に集まります。日銀が政府としての金庫になっています(50頁参照)。日銀は国の銀行である以上、借金(国債)の「事務」も担当しています(53頁参照)。「発行銀行」に関して、私達が使用しているお札は日本銀行券という日本銀行が発行しているものです(60頁参照)。

 最近、バブル経済が悪者のように語られることが多いですが、私は少し違った見解を持っています。確かに、バブル経済当時の質の悪い地上げ屋などの社会悪は繰り返されてはならないと思いますが、経済が成長する時には必ずバブル経済に近い状態になるものです。要は経済が過熱し過ぎないように巧くコントロールすることが重要なのではないかと考えています。この『日銀を知れば経済がわかる』という書籍にはバブル経済に関する興味深い話が記載されています。1986年頃、急激な円高で日本経済が不況に陥ると、日銀は、景気対策のために金利を五回にわたって引き下げました。当時としては歴史的な低さである2.5%にまで下がりました。金利を下げると、企業は銀行などの金融機関から低利で資金を借りることが可能になります。低利で融資を受けられれば、新しい工場を建設したり、新型機械を導入したり、社員を増やしたりという行動に出やすくなります。取引先企業の売上げが伸び、雇用が増えて、景気は上向きになっていきます。景気がよくなると、土地の売買も活発になり、地価が上昇し始めました。企業は低金利で銀行から資金を借り、土地を買うようになります。本業よりも土地の売買の方が利益が上がるようになったのです。その結果、地価が上昇します。土地の所有者は土地を担保に資金を借り、また、持っている土地が値上がりすることで、財布のヒモが緩くなり、高額商品を気軽に購入するようになります(資産効果)。景気はますますよくなり、ついには過熱状態になってしまいました。

 景気が過熱すれば、金利を引き上げて冷ますのが中央銀行の役割です。日銀としても、公定歩合(当時は公定歩合で金利の操作をしていた)の引き上げのタイミングを検討していました。そこに発生したのが「ブラック・マンデー」(暗黒の月曜日)でした。1987年10月にアメリカ・ニューヨークの株式市場が大暴落したのです。日本やドイツ(当時、ドイツも日本と同様に好景気で経済が過熱気味だった)が、景気の過熱を冷ますために金利を引き上げるのではないかと予測した世界の投資家が、「日本やドイツが金利を上げれば、アメリカの資金が日本やドイツに流れ、アメリカの株式市場から資金が流出して株価が下がる」と考え、株を売ったためでした。これによって本当に株価が暴落したのです。みんなが予測すると、結果的に予測通りのことが起きる「予言の自己実現」が起きてしまったのです。この状況下、日銀はここで金利を上げれば、アメリカに悪影響が及ぼすと、アメリカに気を遣い過ぎ、金利の引き上げをためらいました。結局、日銀が金利を引き上げたのは89年5月になってからでした。2.5%という歴史的な低金利を2年3ヶ月も続けたのです。これがバブルをさらに大きくしてしまいました。一方、ドイツ連邦銀行(中央銀行)は、アメリカに遠慮せずに金利を引き上げ、バブルの発生を未然に防ぐことができたのです。遠慮なくなすべきことは実行する。ドイツ連邦銀行の頑固さを感じますが、日銀は、そこまで頑固さを貫くことができませんでした。日銀の逡巡により低金利は継続され、バブルが大きく膨らんでしまいました(150頁参照)。このようにバブル経済に対する日本とドイツの対応は対照的です。然るべき時にきちんとした対策をうっていれば正常な経済成長ができたのではないかと考えてしまいます。

 さらに不適切だったのが、その後のバブル経済の対策です。地価の高騰に無策だと批判を受けた大蔵省(現・財務省)は、不動産の「総量規制」を実施しました。総量規制は銀行にもう不動産業者に資金を貸すなという意味を持っていました。不動産業者は銀行から資金が借りられなくなったために、土地を新たに買う動きはストップします。併せて、日銀も公定歩合を急ピッチで引き上げました。1989年5月からわずか1年3ヶ月の間に五回も引き上げ、公定歩合は2.5%だったものが6%まで急上昇しました。これでは資金を借りて事業を拡大しようという企業は激減します。こうしてバブルははじけたのです(153頁参照)。バブル経済を抑えるためとは言え、やり方があまりにも急激過ぎるように思えます。バブル経済を終息させるには、もっとソフトランディングさせるような方法を選択すべきだったのではないかと考えてしまいます。そして、2001年3月、政府は「日本経済は緩やかなデフレ」にあるという見解を示しました。ついにデフレに突入してしまったのです。金利の引き上げが遅れたためにバブルを生み出し、その反省から今度は金利の引き上げに熱心になり過ぎて、結局はバブルを潰すどころか、経済全体を失速させ、不況に追い込んだのです(154頁参照)。デフレは現在まで続いています。バブルを強く意識し過ぎるあまり、インフレに過敏に反応し過ぎるようになり、デフレスパイラルから抜け出せなくなってしまいました。バブル経済まで行くと決して良いものではありませんが、経済が正常に成長するとは所得の上昇を伴う緩やかなインフレ状態であります。政策はTPOで決定するものですから適時に適切な対応をすればバブル経済対策はあるように思えます。また、デフレで物価が下落していくと、実質金利はプラスとなってしまいます。例えば銀行に100万円を金利ゼロで預金すると、1年経っても預金は100万円のままです。ところが、物価の下落が進み、100万円の商品が1年後に90万円で買えるようになっていれば、額面100万円の預金は、90万円を使ってもまだ10万円残ります。この10万円が実質的な金利となってしまいます(162頁参照)。故に、所得の上昇を伴う緩やかなインフレを目指すべきなのです。スタグフレーションにならないように。

 『日銀を知れば経済がわかる』の中には、私が尊敬するケインズのことも記載されていました。第二次世界大戦中の1944年、会議にて、戦後の国際通貨体制をドル基軸にするべきか、バンコールという新たな通貨を創設すべきかで、アメリカの代表とイギリスの代表の意見が分かれました。その時のイギリスの代表がケインズだったのです(220頁参照)。この『日銀を知れば経済がわかる』という書籍は池上彰氏らしく非常に分かりやすい上に、前述したバブル期の話のように、その時事に起きた興味深い話が掲載されている書籍でした。