日本経済新聞社編の『ゼミナール・日本経済入門(第十版』という書籍を紹介する。 日本経済新聞社編 | 松陰のブログ

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日本経済新聞社編の『ゼミナール・日本経済入門(第十版』という書籍を紹介する。

日本経済新聞社編の『ゼミナール・日本経済入門(第十版』という書籍は日本の経済を知る上で有用なだけでなく、経済学的な観点から国の経済を見る上でも優れた書籍です。金融、物価、景気、産業構造といった日本経済の基礎知識の他に、貿易摩擦、財政改革、環境問題といった応用問題についても解説しています(i頁参照)。「景気を読む」、「経済成長とは何か」、「物価を考える」、「高齢化時代の財政」、「日本的金融改革の行方」、「経済摩擦の政治経済学」、「強まる円の役割」、「変わる産業構造」、「日本型経営システム」、「地球環境時代の政府と企業」、「豊かな社会の構築」という章立てになっています。1995年発行の書籍ですが、現在でも充分に通じる内容です。

最近、経済を蔑ろにする政策が多く、憂いています。国民の生活を豊かにするのは経済しかありません。元来、経済は国民を救うためにあるものです。中国で発展した考証学者による「経世致用の学」の影響を受け、江戸時代の日本で儒学者などによる同種の「経世論」(経世済民論)が盛んに行われました。この「経世論」の代表的著作の一つで日本で初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」としており、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものでした。經世濟民(経世済民)は、中国の古典に登場する語で、文字通りには「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意味です。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)。民を救うものこそが経済であり、国民を救えないものは真の経済ではありません。経世済民とは「世を経(おさ)め、民の苦しみを済(すく)うこと」です。その起源は諸説あるようですが、中国の古典、隋の時代の王通『文中子』礼楽篇に、「皆有経済之道、謂経世済民」とあって、経済が経世済民の略語として用いられていたということです。日本国民の、否、人類の幸福のために、もう少し真剣に経済のことを考えて欲しいと思っています。

国民の生活水準を上げる一つの方法は経済を成長させることです。経済成長は経済的な諸問題を解決する重大な要素の一つでもあります。少子高齢化によりこれから日本はほとんど成長できないと考えている方もいますが、私はきちんとしたビジョンを持って、的確な経済政策を施行すれば、日本はまだまだ経済成長できると思っています。以前、試合前に負けることをインタビューして、アントニオ猪木氏に「出る前に負ける事考える馬鹿がいるかよ」とビンタされたアナウンサーがいました。経済政策を実行する前から成長を諦めていて経済成長をできるはずがありません。経済成長率を表す指標にGDP(国内総生産)があります。私の大学生時代にはGNP(国民総生産)の方が利用されていましたが、今ではすっかりGDPが一般的になりました。GNPからGDPに移行した理由は、国際化が進展し、一国において産出された総付加価値額が自国民、他国民のいずれによるものなのか、把握することは容易ではないこと、一国内における全ての経済主体が生み出す総付加価値額を対象とする方が、当該国の経済活動をより的確に反映すると考えられることなどです。GDPには、三面等価の原則というものがあります。GDPの水準は、生産面、分配面、支出面のいずれから見ても等しくなるという性質です。生産面、分配面、支出面のGDPとは、それぞれ、最終生産物の合計が輸入を引いたもの、各経済主体の消費と投資の合計、各生産要素の所得の合計です。生産された付加価値は必ずいずれかの生産要素に帰属し所得となり、消費と貯蓄の合計は所得に等しく、消費・投資には必ず最終生産物が用いられるため、三面は恒常的に等しくなります(『経済学用語辞典』佐和隆光著 82頁参照)。つまり、支出(消費)しなければGDP(生産)は増加しないということです。消費が喚起されなければ日本経済の成長はないのです。成長できなければ不況からも脱出できません。三面等価の原則に関しては、日本経済新聞社編の『ゼミナール・日本経済入門(第十版』でも116頁に詳しく掲載されています。

成長の原動力は何か、と考えた時、真っ先に出てくるのが技術進歩です。アメリカのR・M・ソローという経済学者のデータを使って経済成長の要因を分析したところ、実に87.5%が技術進歩に基づくものだとの結果が出、一躍成長の原動力として技術進歩説が脚光を浴びることになりました。技術といっても技術だけで成長するのではありません。技術を扱う人間の修得が必要です。精錬技術の場合は炉という設備があって初めて生産に結びつきます。故に、原動力の第二として資本と労働が挙げられます。第三は企業家精神です。技術進歩論の大御所的存在はシュンペーター。シュンペーターはどんなに素晴らしい技術があったとしても、この技術を生かして敢然と事業に挑む人間がいなければ成長はありえない、と考えました。この勇気ある事業家のことをシュンペーターは「企業家」と呼びました。第四は貯蓄です。資本がなければ成長はありえないと述べましたが、物理的な設備・機器を資金の面で支えるのが貯蓄です。「貯蓄・投資バランス」こそ均衡の取れた成長経済へ導く鍵を握っています。第五は資源です。資源と成長の関係を痛いほど思い知らされたのは石油ショックの時。石油ショック以降は情勢が一変しました。石油ショックと共に一躍脚光を浴びたのは国際的な民間研究機関であるローマ・クラブが1972年に発行した『成長の限界』。環境、資源などの制約で人類はそのうち成長が望めなくなる、と警告したものです。しかし、私は人間の叡智がこの予想を打ち破ってくれることを信じています。第六は政策・制度です。元ロンドン大学教授の森嶋道夫氏の著書『なぜ日本は「成功」したか?』は大化の改新から説き起こし、歴史の中に日本経済の成長の原動力を探っています。森嶋教授が注目したのは日本経済の中に脈打っている“儒教的精神”。ちょうどマックス・ウェーバーが西欧の経済発展の源流をプロテスタンティズムの合理的精神に求めたのと一脈通じるものがあります。制度としての社会構成の中から経済成長へアプローチしています。政府もまた企業、家計と並ぶ経済取引のプレーヤーの一人。政府支出の大きさは直接、成長の大きさにかかわってきます。政策の舵取りをどうするかで成長の行方も違ってきます。第七は人間の夢とロマンです。今はまだ夢物語かも知れません。しかし、自動車も飛行機もロケットも、初めは夢物語でした。この人間の夢とロマンが人間社会をここまで引っ張ってきた真の原動力なのです(92頁参照)。

経世済民という「世を経(おさ)め、民の苦しみを済(すく)うこと」を目指して、有効な政策を施行して欲しいと願っています。また、一般の方々の経済学の理解が深まることを願っています。それが国民全体の生活向上へと結びつくのですから。