佐和隆光訳・アンソニー・ギデンズ著の『第三の道』という書籍を紹介する。 なぜこの書籍を読んだの | 松陰のブログ

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佐和隆光訳・アンソニー・ギデンズ著の『第三の道』という書籍を紹介する。

なぜこの書籍を読んだのかと申しますと、私は大のイギリス好きであり、アンソニー・ギデンズ氏がブレア元英国首相の政策に影響を与えた方だと知ったからです。現在は保守党のキャメロン政権ですが、この書籍を読んだ当時は労働党のブレア政権でしたので、その当時に大好きなイギリスの政策を理解する上で有用な書籍を読みたいという気持ちでアンソニー・ギデンズ著の『第三の道』を読みました。私は政治家でもない上、無関係な政争に巻き込まれたくありませんので、イデオロギーを社会に主張するつもりはありません。このアンソニー・ギデンズ氏の『第三の道』は有意義な本でした。ちなみに私は民主主義者、資本主義者(特に民主主義は絶対に守らなければならない財産だと思っています)であり、共産主義、社会主義自体は好きではありません。理由は、スターリンを始めとした社会主義国家は、結局は独裁国家(スターリンの粛清は有名です)になり、一部の特権階級のみが富み、貧富の格差を助長し、言論の自由は奪われ、一般国民の人間としての尊厳が剥奪された国家になってしまうと思っているからです。しかし、資本主義国家の現状を鑑みると、社会主義国家が陥った格差ある社会と同じようになりつつあり、憂いています。システムとは諸刃の剣で完璧なシステムなどは存在しません。社会主義国家が存在している間は切磋琢磨し、進化していた資本主義の経済システムも社会主義の崩壊と共に驕り、資本主義が暴走した結果、現在の金融不安に繋がったのだと思います。資本主義も新たな局面と迎え、さらなる進化をしていかなくてはならないのではないでしょうか。

 この書籍を読んでいた当時、アメリカ合衆国は、ロナルド・レーガン氏、ジョージ・ブッシュ氏を中心に、新自由主義を核とした政策が実施されてきました(254頁参照)。一方、ヨーロッパでは、イギリス(現在はデーヴィッド・キャメロンが首相とする保守党政権<自由民主党との連立>)、ドイツ(私事で恐縮ですが、私はイギリスの次にドイツが好きです)などの社会民主主義政権が誕生しました(272頁)。元々、ヨーロッパでは、「福祉のコンセンサス」、すなわち福祉政策の推進が、政府、企業、労働者の三者を利するという合意が形成されていました。1973年のオイルショックによって、高度経済成長の幕が引かれるまでは、左派はもとより、右派ですらが、福祉優先の政策路線上をまっしぐらに突き進んでいました(270頁)。ヨーロッパで誕生した社会民主主義政権は、1999年のドイツ、イギリスの選挙で敗れ、「中道」が選挙民の多数派の支持を得るのは極めて困難だということを露にしました。強い敵はいないけれども強い味方もいない。これが中道の宿命のようです(273頁)。主流の思想として、社会民主主義、新自由主義などがあります。古典的社会民主主義(旧左派)の特徴は、社会生活や経済生活への広範な国家の関与、市民社会よりも国家が優先、集産主義、ケインズ主義的需要管理と協調組合主義、市場の役割は限定的、すなわち混合経済あるいは社会経済、完全雇用、強固な平等主義などです。一方、サッチャリズム、新自由主義の特徴は、できるだけ小さな政府、自律的な市民社会、伝統的なナショナリズム、道徳的権威主義と強力な経済的個人主義、市場原理主義、他の市場並みに労働市場の需給をバランスさせる、不平等の容認などです(26頁)。

 いくつかの国で実施された世論調査は、人々の意識の変化を、左か右の二分法によって説明できなくなったことを示していました。ジョン・ブランデルやブライアン・ゴッショークによると、イギリス人の社会的、政治的な意識は四つに分類できると言っています。保守主義、自由主義、社会主義、権威主義です。経済的自由、すなわち自由市場への信仰を横軸とし、個人的自由を縦軸とする座標平面上の四つの象限がそれぞれの主義に対応しています(47頁)。また、ギデンズ氏は、左派と右派は表裏の関係にあり、左派、右派の区分は政治的に対立した両者を分ける上での区分であって、固定的なものではないと述べています。左派、右派の意味するところ自体が、時とともに移り変わってきました。政治思想史を顧みると、同じ意見が、時代背景と文脈次第で、左派の意見のようであったり、右派の意見であったりします。どちらか一方が強すぎて、「一人勝ち」の気配が漂うようになると、左右の色分けは意味をなさなくなります。強い側は、「他に選択肢がないではないか」と強弁します。弱い側は、不評を巻き返すべく、敵の政見を部分的に借用してきて、それがあたかも自らの政見であるかのように喧伝します。敵の政見を採り入れ、自らの政見を中和させることにより、両派の政見の統合を図ろうとするのが、敗者の採る昔ながらの戦略です。両者とも、旧左派と旧右派の対立軸を乗り越えようと、お互いのよいところどりをして、何とか生き延びようとするのです(73頁)。

 このような背景があるにしても、現在、左派、右派が存在していることは事実です。左右両派の最大の争点は、福祉国家をどうするかです。旧左派が「ゆりかごから墓場まで」の完璧な福祉国家を良しとするのに対して、旧右派はセーフティーネット(安全網)としての福祉で事足りるとしています。旧右派の福祉国家が悪いことだという理由として、福祉国家が勤労意欲を減退させることを指摘しています。いわゆる福祉頼みの風潮が蔓延すれば、モラルハザード(倫理の欠如)が不可避となり、社会の活力は自ずと低下するのだと。セーフティーネット以上の福祉は差し控えるべきだとしています。私はこのモラルハザード(倫理の欠如)を強調し過ぎることに疑問を持っています。日本の現状を鑑みれば、貯蓄がなければ安心して老後の生活ができません。貯蓄するのは当然の結末です。過度の貯蓄は、資金の循環を阻害し、消費を減退させ、景気を悪化させます。貯蓄率を減少させるには社会福祉、社会保障を充実させるしかありません。社会保障の充実した国家は比較的貯蓄率が低くなっています。かつて福祉は勤労意欲を減退させると言われてきました。いわゆる福祉頼みの風潮が蔓延すれば、モラル・ハザード(倫理の欠如)が不可避となり、社会の活力は自ずと失われると思われていたのです。しかし、2006年のダボス会議を主催する世界経済フォーラムによると、国際競争力世界順位において、高社会福祉国家であるフィンランドが1位、スウェーデンが3位、デンマークが5位に入っています(06年1月5日、今村仁税理士事務所データ提供のホームページ参照)。高社会福祉国家であっても勤労意欲が損なわれるわけではないのです。逆に、アメリカにおける格差社会の広がりと、リスクを偽った金融工学による欺瞞な成長と堕落を見ると社会福祉の重要性が浮き彫りにされます。日本の場合、年金問題における社会保険庁の不正やずぼらな管理が発覚しましたので、行政の税金の使用に対して国民から信用されることが前提となります。その点をきちんと制度化(監査・監視システム)して、日本は福祉国家に向かうことが望ましいと思っています。社会福祉が充実すれば多額の貯蓄がなくても安心して老後が過ごせ、高齢者の貯金を狙う悪質な詐欺犯罪も減少するのではないでしょうか。

 ギデンズ氏の福祉国家論は、「資金ではなくリスクを共同管理しようとする福祉国家です」。リスクは多岐多様であり、不足、貧困、病気、無知、不潔、怠惰等々の社会のネガティブな項目の一つひとつをポジティブな対応物に置き換えることにより、ポジティブ・ウェルフェア国家を作ろうとしています。不足を自主性に、病気を健康に、無知(一生涯にわたる)を教育に、惨めを幸福に、そして怠惰をイニシアティブに置き換え、それらを奨励する方便として福祉を位置づけようとしていうのです(270頁)。

 グローバリゼーションを始めとする時代文脈の大規模な変化が新右派(サッチャリズム)の市場原理主義の限界を露にし、1980年代末から90年代初頭にかけての社会主義の崩壊やオイルショックによる持続的経済成長の停止が、旧左派を無い物ねだりのアナクロニズムにおとしめました。そうした状況を踏まえて、時代の要請として、今、第三の道が求められたとギデンズ氏は言っています。新右派と旧左派を単に足して、二で割ったのが、第三の道というのではなく、二十世紀の最後の十年間の時代文脈の変化に適応した新しい政治のあり方が第三の道だとギデンズ氏は主張し、第三の道は過去2、30年間に根源的な変化を遂げた世界に社会民主主義を適応させるために必要な思考と政策立案のための枠組みであると考えています(261頁)。第三の道が目指すところは、グローバリゼーション、個人生活の変貌、自然と人間との関わり等々、私達が直面する大きな変化の中、市民一人ひとりが自ら道を切り開いてゆく営みを支援することです(115頁)。第三の道が重視する価値は、平等、弱者保護、自主性としての自由、責任を伴う権利、民主主義なくして権威なし、世界に開かれた多元主義、哲学的保守主義です(118頁)。

そして、具体的な第三の道のプログラムは、ラジカルな中道、新しい民主主義国家(敵不在の国家)、アクティブな市民社会、民主的家族、新しい混合経済、包含としての平等、ポジティブ・ウェルフェア、社会投資国家、コスモポリタン国家、コスモポリタン民主主義です(123頁)。中でも平等に関する考え方は斬新でした。第三の道の政治は、平等・不平等を所得格差という量的な尺度に還元したりせずに、平等を包含、不平等を排除と定義します。最も広い意味での包含とは、市民権の尊重を意味します。それが機会を与えること、そして、公共空間に参加する権利を保証することをも意味するのです。教育、医療、保育等のサービスを受ける権利を万人に保証し、学校教育からのドロップアウト等の排除をできるだけ防ぎ、極度の貧困を撲滅することが包含としての平等です。政府の三つの優先課題を挙げれば、トニー・ブレア元英国首相は、「教育、教育、教育」と述べました。ブレア論文にも「全ての市民に働くためのスキル(技能)を与えるために、またイギリスの国際競争力を高めるために、教育改革が最優先の課題とされなくてはならない」とあります。なぜ教育なのか。排除を防ぐための唯一無二の施策が公教育の充実だからです。教育投資の狙いは「可能性の再分配」をかなえるためです。市民の一人ひとりに十分な教育を施すことにより、与えられた機会を十分に生かす可能性(潜在的能力)を平等に与えようというわけです(269頁)。左派の不平等が悪いと考える理由は、不平等は、下層階級の極度の困窮をもたらしかねない。パイが一定であれば、不平等度が高まれば高まるほど、下層階級の所得は低下する。極度の不平等な社会は、戦前の日本のように、潜在的な能力を生かし切れないという意味での無視しがたい社会的損失が生じる。不平等は社会的結束を損ない、犯罪を多発させるなど、社会的かつ政治的な不安定を増幅させるなどです(268頁)。私も不平等が社会を不安定にし、そのことが治安を悪化させ、犯罪の多発化により、住みづらい社会、生活しづらい社会にしてしまうことを危惧しています。このような様々な分野の書籍を読破し、私の自己進化への糧にしていきたいと思います。