清水博著『生命を捉えなおす』という書籍を紹介する。 「生きているとは、どういうことなのだ | 松陰のブログ

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清水博著『生命を捉えなおす』という書籍を紹介する。

 

「生きているとは、どういうことなのだろうか」という問いに自然科学の立場から分かりやすく説明してくれた最高の書が清水博氏著の『生命を捉えなおす』という書籍です。

 

水は、気体、液体、固体というはっきり区別することのできる三つの状態を取ることができます。しかし、三つの状態を分析して、水蒸気から得た水分子も、水から得た水分子も、氷から得た水分子も全く変わりません。気体、液体、固体状態という三つの状態があるという個々の構成要素の個性によらない物質全体に共通した性質(グローバルな性質)が存在します(30頁参照)。グローバルな性質に共通な性質として「相転移」と呼ばれる現象が見られます。「相」とは互いに区別できるグローバルな状態のことです。氷、水、水蒸気はそれぞれ別の層です。一般に、一つの相から別の相に物質や系のグローバルな状態が変わることを相転移と呼びます。氷を暖めて水にする時には摂氏零度で氷が急に溶けて水に映ります。水が水蒸気に不連続に変わる温度は100度です。では相転移はなぜ連続的に少しずつ起きずに、不連続な変化となるのでしょうか。この理由は、各要素の間に相互作用があるために、各要素が協力して一緒に行動しようとする傾向を持っているからです。言い換えれば、各要素の運動の非線形性によるものです(36頁参照)。相の状態が不安定になっている、原子や分子などの構成要素の間に相互作用があって、互いの運動が関連して変化が安定な状態に向かって協力的に進む、という共通の特徴が存在することが分かります。相を特徴づける概念として「秩序」があります。相転移の前後で変化するものは要素の性質ではなく、要素の集合状態の秩序の度合いです(39頁参照)。

 

秩序には、静的秩序と動的秩序があります。静的秩序の代表は結晶です。例えば、ダイヤモンドは炭素の結晶です。最高の硬度を持ち、安定した構造をしています。しかし、ダイヤモンドは生きてはいません。つまり、いくら安定していても生きているとは言えないのです。結晶の形態が最も安定なのは、その構成要素である原子や分子の位置ができる限り動かない時ですが、このことは生体の形態には当てはまりません。生体の形態は、生体を構成している原子や分子が運動したり、反応したり、入れ替わったりすることができる時だけ、すなわち生体が生きている時だけ、安定であるからです。この理由から結晶構造を持っているような秩序を静的秩序と呼び、生体の形態にみられるような秩序を動的秩序と呼びます。生きている状態は、特定の分子や要素があるかないかということではなくて、多くの分子や要素の集合体(マクロな系)が持つ、グローバルな状態(相)です。生きている状態にある系は、高い秩序を自ら発現し、それを維持する能力を持っています。その秩序は結晶に見られるような静的秩序ではなく、動的秩序であり、この秩序を安定に維持するためには、エネルギーや物質の絶えざる流れを必要とします(98頁参照)。

 

マクロな系が動的な系であるということは、そこに物流の流れなり、エネルギーの流れなりを伴う状態の変化が進行しているということです。マクロな系におきる変化は、エントロピーを大きくする方向に進んだ時のみ自発的にどんどん進行します(101頁参照)。ちなみに、エントロピーとは、マクロな状態の無秩序の度合いを表現する量として使われています。そして、確率の法則に従って、系の(マクロな状態の)無秩序さが大きくなる傾向があることを「エントロピーの増大則」と言います(64頁参照)。マクロな状態が時間とともに移り変わっていく裏には、必ずエントロピーが次々と増加していく不可逆な状態変化が起きているのです。生命は、この意味では大変不思議な性質をもっています。生命には秩序を自己形成する能力があります。このことは秩序を持ったマクロな状態(対応するミクロの状態の数が少ない状態)が自然にしかも動的に形成されることを意味します。したがって、生きている状態は「変化の進行に伴って、系の状態はだんだん無秩序なエントロピーの大きいものに変わっていく」というエントロピーの増大則に一見矛盾しているようにさえ見えるのです。エントロピーの増大則という普遍的な自然法則に拠れば、「秩序→無秩序」という変化から何物も逃れることができないはずであるのに、生きている系では、「無秩序→秩序」という逆の変化が普遍的に起きているのです(102頁参照)。

 

動的秩序が定常的に出現するためには、系の中に自由エネルギーや自由エネルギー源となる物質が流れ込むことが第一に必要です。第二に、系の中で起きる変化や運動に伴って、生じてくるエントロピー(熱)や分解物を系外に出すことが必要になります。エントロピーというのは系の内部の乱雑さの目安ですから、これが多いと高い秩序を作り出すことが困難になります(105頁参照)。自由エネルギーやその源となる物質の流入と、熱や反応を終了した物質の流出が絶えず起きることのできる系を開放系と言います(厳密には熱力学的平衡から距たった非線形非平衡系というべきものです)。系は同時に二つの異なる熱源(エネルギー源とエントロピー吸収体)と接触しているために、どちらの熱源とも平衡になることができず、絶えず非平衡状態にあります(106頁参照)。開放系には熱力学的平衡状態が存在しませんので、一般にボルツマンの分布則が成り立ちません。開放系になっていることが、「進化」というエントロピー増大則に一見逆らって秩序を高くしていく現象を可能にしています(108頁参照)。

 

相転移は要素の状態に何らかの協同性がある時におきる系のグローバルな性質です(161頁参照)。系に出現した秩序のあるマクロな運動によって要素の動的なふるまいに誘起される協同性を、「動的協同性」と言います。マクロな秩序を実現しようと各分子が働き、また一方そのようにしてできたマクロな秩序を持つ現象によって各分子の起こす反応が動的に協力しあう反応を「共働反応」と言います。動的協同性がなければ(化学的エネルギーから)力学的エネルギーへの直接の変換は起こらないということです(165頁参照)。系につくられる秩序ある(生命)現象の秩序の程度を表現する量を秩序パラメーターと言いますが、そのマクロな秩序を各要素に伝えて、動的協力性を起こす量を「秩序情報のキャリア」または「秩序の場」と呼びます。秩序の場の働きによって、系(マクロ)と要素(ミクロ)とはフィードバック・ループによって互いに影響を与えながら秩序を自己形成することができるのです(173頁参照)。

 

生命現象を示すことのできる系、つまり生命系には二つの相があります。一つは生きている相で、もう一つは死んでいる相です。生きている相にある生命系には秩序の自己形成をする能力があり、そこで生まれる動的秩序を伴った現象を生命現象と言います。一方、死んでいる相では動的秩序の自己形成が進みません。生きている相に出現する秩序は動的秩序であって、自由エネルギーの絶え間ない散逸(エントロピーの増大)の下に、開放系で出現するものです。動的な秩序は自由エネルギーの流入が一定の閾値を越えた時にはじめて出現するもので、このような時には、系には不安定な状態がつくられ、この不安定性を解消する方向の変化が自己増殖的に増幅され、ついに秩序の高いマクロな変化に発展するのです。生きている相の中で秩序が形成されている時には、ミクロとマクロの間にフィードバック・ループができ、このループを通じて互いに相手に影響を与えます。そして異なるミクロな要素の運動(時間的変化)の間に、このループによって、マクロの秩序を高めるための(間接的な)協同作用ができあがります。これを動的協力性と言います(175頁参照)。

 

清水博氏著の『生命を捉えなおす』という書籍の中で興味深かったのは、引き込み現象の事例です。心筋細胞の拍動の例を挙げています。メクラウナギの心臓を取り出し、トリプシンなどの蛋白分解酵素で軽く処理してやると、個々の細胞を別々に分けることができます。このように取り出した各細胞は勝手に拍動しますが、これらの細胞を互いに接触させると、お互いに拍動が引き込まれて、同一の振動数と位相とをもって拍動を始めるようになります(195頁参照)。生命は確かに固有のリズムを持っていますが、環境との相互作用によって、全体的なリズムを形成していく能力をもっているということです。

 

この清水博氏著の『生命を捉えなおす』という書籍はものすごく内容の濃い書籍でした。当然、これだけ内容が濃ければ、全てを要約することはできません。一文、一文に意味があり、一文一文それぞれの意味の相互作用の中で全体としての高尚な理論が形成されています。読破してこそ見える内容があります。一度、通して読んでみることをお勧めします。書籍自体は自然科学の中では読みやすい書籍です。