長嶺超輝著『裁判官の爆笑お言葉集』という書籍を紹介する。 長嶺超輝氏著の『裁判官の爆笑お言葉集 | 松陰のブログ

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長嶺超輝著『裁判官の爆笑お言葉集』という書籍を紹介する。

長嶺超輝氏著の『裁判官の爆笑お言葉集』という書籍を読んで、一度、裁判を傍聴したいと思い、東京地方裁判所と東京高等裁判所へ傍聴しに行ってしまいました。淡々と進められる裁判ですが、その中に裁判官の人間味溢れる言葉を聞けると、裁判に魂が入ったような気さえします。実際、裁判を傍聴してみて、結構、聞き応えのある裁判もありました。ドラマのようなやり取りは少ないですが、検察官と弁護士の駆け引きなど、傍聴に耐えられるシーンはあります。一回、放火事件の裁判を傍聴したのですが、検察官は、証人に放火の可能性が高いことを引き出そうと質問し、弁護士は放火ではない可能性を引き出そうと質問していました。実際、部総括判事の方が裁判を仕切るのですが、部総括判事はとても威厳があります。

長嶺超輝氏著の『裁判官の爆笑お言葉集』という書籍で興味深かったのは、まず、46頁の「刑務所に入りたいのなら、放火のような重大犯罪でなくて、窃盗とか他にも・・・・」の巻きです。上げ膳据え膳で、健康に配慮された食事も出てくるし、雨露をしのげる寝床もあり、医療費はタダ。生きにくい現代社会の中で、刑務所は考えようによってはパラダイスです。刑事裁判を傍聴していると、「刑務所に入りたかったから」という弁解は、まったく珍しくありません。2006年8月には、茨城県のとある警察署に、あいついで二人の「服役志願者」が自首してきました。互いに面識がないのに、わずか30分差で偶然かぶってしまったのです。しかも「腹が減っていたので、捕まって食事をとりたかった」と言い訳まで一致していたそうです。そういった人達は、犯罪そのものに切実な動機はなく、思いはその先にあるパラダイスに向かっていますから、それほど大ごとを起こしたりしないものです。もちろん、軽微な犯罪であっても、直接被害を受けた方々にとっては、たまったものではありません(46頁参照)。どう思いますか?この現状を。一般社会よりも刑務所の方がいいと思える社会なんて根本的に間違っていますよ。そんな社会をつくってはいけないと感じました。セコムIS研究所の甘利康文氏に拠れば、総務省の発表する完全失業率と警察庁の発表する刑法犯の認知件数には強い相関が認められると言っています。不況で失業率が上がっている年は犯罪が増えるということです(ネット内・2009年展望失業率と犯罪の関係を読む SAFETY JAPAN [インタビュー]- 日経BP社参照)。つまり景気が悪化すると、それに比例して治安が悪化し、生活しづらい社会という問題を引き起こすということ。経済と社会の生活のしやすさ(犯罪増加、治安悪化などが関係)には強い関係があります。故に、失業率を減少させ、景気を上昇させなくてはならないのです。住みやすい日本を維持するためにも経済を重視しなくてはなりません。ちなみに、雇用情勢の判断に失業率という指標が用いられますが、失業率は失業状態の惨状を正確には示していません。失業率における失業者とは「働く意思と能力があるのに仕事に就けない状態にある人」を指すので、仕事がなくて仕事をしたくとも仕事探しをあきらめた人は失業者には含まれません。発表された失業率よりも悪く見積もる必要性があります。

 長嶺超輝氏著の『裁判官の爆笑お言葉集』という書籍を読んで、何度か東京地方裁判所へ傍聴しに行きました。二件、覚醒剤所持の裁判を傍聴しました『裁判官の爆笑お言葉集』を読んで母親の証人のことが分かります。198頁に大麻取締法違反の事例が記載されていました。その裁判に母親が情状証人として出廷していました。長嶺超輝氏著の『裁判官の爆笑お言葉集』にはオウム真理教事件がたくさん掲載されていました。16頁、32頁、162頁はオウム真理教に関する裁判が記載されています。中でも162頁の裁判の引き延ばし戦略には呆れてしまいました。「裁判所としても、事件に関する範囲で尋問して欲しいと思うが。皆さんベテランだから分かると思いますが(162頁参照)」と裁判長の言葉。松本智津夫の一審に費やした公判回数が257回(191頁参照)。いやあ、言葉を失いますね。

『裁判官の爆笑お言葉集』の126頁、128頁に母親への介護に疲れ、母親と一緒に自殺しようとしたが、死ねなかった息子の話が二件掲載されていました。何か日本社会の闇を見たような気がします。こういう事件を読むと、胸がしめつけられ、日本社会には問題が多い、解決しなければならない問題がたくさんあると痛感します。前述した刑務所に行きたくて犯罪を行なう被告人や母親の介護に疲れて自殺しても死ねなかった承諾殺人の裁判も日本の社会システムに問題が潜んでいるように思えます。生活しやすく、素敵な日本社会を創造できるのは政治の力しかありません。このような寂しい事件が少しでも減少するように尽力して欲しいと願いばかりです。