池田喜昭監訳・アーサー・ケストラー編著『還元主義を超えて』という書籍を紹介する。 池田喜昭 | 松陰のブログ

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池田喜昭監訳・アーサー・ケストラー編著『還元主義を超えて』という書籍を紹介する。

  池田喜昭氏監訳・アーサー・ケストラー氏編著の『還元主義を超えて』という書籍は、アーサー・ケストラー氏のホロンという考え方に近い科学、ニューサイエンスの論文集です。寄せられている論文は、ポール・A・ワイス氏の『生きているシステム-階層化された決定論』、ルードウィヒ・フォン・ベルタエアンフィー氏の『偶然か法則か-一般システム論と進化』、ホルガー・ハイデン氏の『学習と記憶-生化学的アプローチ』、ジャン・ピアジェ氏&ベーベル・イネルダー氏の『経験主義の欠陥-発達心理学の観点から』、ジェローム・S・ブルーナー氏の『意図的活動のヒエラルキー構造-乳児の発達過程から』、アーサー・ケストラー氏の『原子論のホーリズムを超えて-ホロンの概念』、J・R・シミシーズ氏の『意識の諸層-一元論と二元論の対立を超えて』、ポール・D・マクリーン氏の『人間の妄想傾向-三つの脳の検討から』、ディヴィッド・マクニール氏の『経験主義者と生得主義者の言論理論-二十世紀のジョージ・パークリーとサムエル・ベイリー』、F・A・ハイエク氏の『抽象の第一義牲-精神活動とヒエラルキー』、セイモア・S・ケティー氏の『精神薬理学の新しい展望-化学物質の知能を変えうるか』、C・H・ウォディントン氏の『現代の進化論-後成的システムの展開』、ヴィクトル・E・フランクル氏の『還元主義とニヒリズム-次元人類学の立場から』、ウィリアム・H・ソープ氏の『価値の再発見にむけて』が収められています。これは1968年に開催されたアルフバッハシンポジウムという研究会議で発表された内容を収録されたものです。還元主義とは、ある物が何かそれ以外の物に過ぎないと繰り返し主張していることです。それは、人間の現象を力学的な用語で人間以下の現象のあるものに還元したり、あるいは遺伝学用語で人間以下の現象から人間の現象を演繹することによって人間らしさを奪い去る方法と手続きです(518頁参照)。還元主義とホーリズムを超えたものを求めたシンポジウムだったようです。

  アーサー・ケストラー氏編著の『還元主義を超えて』に収められた論文はどれも読み応えのあるものでした。その中からホルガー・ハイデン氏の『学習と記憶-生化学的アプローチ』という論文を紹介します。学習とは、ある経験をした結果まったく新たな、あるいは従来とは少し変わった方法で、どれだけ応答することができるかという反応システムの容量であると定義できます。記憶とは、新しい情報に従って大脳機能を変化させ、後になって高い特異性をもって再生できる情報をいかに多く蓄積しているかということです。学習においては、短期記憶がまずはじめに確立されます。この短期記憶は数秒から数時間持続するもので、様々な種類の妨害に対して感受性が高く不安定なものであり、学習訓練中あるいは訓練後にすみやかに記憶の蓄積と固定化が行われます。これに対して、長期記憶とは、当然その途中で多少の変化はあるものの、ほとんど一生を通じて持続するもので、明らかに妨害やショックなどに対しても安定で、しかも一瞬のうちに再生しうるものなのです。大脳は三種の基本的成分からなっていることは重要なことです。その第一は神経細胞(ニューロン)で、神経伝達物質やRNA組成によって、生化学的に異なった神経細胞が存在することが分かっています。細胞分裂はしないし、細胞内全遺伝子のうち、ほんの一部分だけしか発現していません。大脳構成細胞のうち、その第二は神経膠(グリア)細胞と呼ばれるもので、やはりほとんど細胞分裂を行わないが、(神経細胞とは異なり)神経インパルスによって電気的に興奮することはありません。脂質と蛋白質の結合物であるリポ蛋白質や、代謝回転の速いRNAに富んだ細胞です。接合部以外のニューロン表面全体を覆っている種々のグリア細胞がニューロン間を埋めており、柔らかな膜状の突起がからみあっています。大脳の第三の基本成分は、ムコ多糖類やムコ蛋白質などからなる細胞外構造物で、その量は大脳の約20%ほどを占めています。電気的波動を暗号情報とした神経インパルスが伝達される部位がニューロンの外部とすれば、内部ではエネルギーの供給、細胞特異物質の合成、ひいては遺伝子発現の調節などを司っています。シナプスにおけるインパルスの流れ方は、遺伝的な制御を受けた何らかの機構によって調整されていると考えられています。したがって、先天的なものであれ、後天的に獲得した学習であれ、記憶のメカニズムに携わるどのような物質も、全て遺伝子と密接に関係しているとの予想も成り立ちます。ある種のニューロンは明らかにある特定の刺激を扱うために、遺伝的に予めプログラムされています。例えば視覚皮質におけるニューロンがそうです。ところが経験はこれらのニューロンを修飾することができます。例えば、もし音と光の二つの刺激を同時に動物に与えると、視覚中枢も聴覚中枢も徐々に学習してその一方だけの刺激に対して応答するようになります。動物の多くの行動パターンは明らかに遺伝しており、環境中の何らかの因子が鍵となって行動の発現が起こりはじめます。これは、何らかの方法で、DNA塩基配列中に行動パターンがプログラムされていることを思わせます。近年、学習や記憶の底流をなす主要メカニズムとして、分子機構に興味がしぼられてきています。そして脳における情報蓄積の担い手としては高分子物質が、中でもRNAや蛋白質が最も可能性の高い物質として候補に挙げられています。なぜならばRNAや蛋白質には、他を認識する部位が存在するし、ニューロンが大量のRNAや蛋白質を含んでいるからです。実際、RNA合成細胞として、ニューロンに対抗できる細胞は他にありません。確かに蛋白質は記憶の獲得や再生機構を担う分子としての可能性を有するものと考えられます。蛋白質は高い特異性をもっていますし、また何百万という細胞において、記憶機構の引き金として速やかに応答しうる物質であるからです。脳細胞内において、学習していない時には単にニューロンの活性が変動しているだけであるが、学習段階に入ると、それに応じた特異的な高分子物質が合成されてくるのか、ということが重要な問題なのです。新しい学習行動が樹立した時に大脳細胞内では非常に特異性の高い塩基組成をもったRNA合成や、種々の酸性蛋白質合成が行われることが判明しました。学習と記憶に関して、ラットを用いた実験を行いました(140頁参照)。一連の研究で、感覚・運動神経、さらにある種の薬物は、神経細胞中のRNA合成を容易に高めることが判明してきました。長期にわたる記憶を形成するために必要な、大脳古皮質領域内の海馬の神経細胞では、二種の酸性蛋白質合成が、学習時に百%増加することが判明しました。これらの蛋白質は、他の組織にはなく、大脳でのみ合成される点で非常に興味深いものです。分子量の小さな蛋白質なので、10の―4乗という感度で電気シグナルに応答したり、構造変化をもたらしたり、神経伝達物質を活性化したり、より安定な立体構造となって細胞膜に取り込まれたりするような、電気生成蛋白質を構成できるようです(154頁参照)。学習途上において、非常に特異性の高い塩基組成を持った少量の核RNAが大脳細胞中で合成されると結論づけてよいと考えられます。動物がかつて遭遇したことのない状況に直面し、学習できた時、大脳細胞内のそれまで沈黙遺伝子だった領域が活性化され、これを反映してこの(特異的)RNAが応答していると理解することができます(155頁参照)。学習にはニューロンが特異的核RNAの合成を行っているのと同様に、グリア細胞もまた相応の方法で応答しているのです。グリア細胞はその機能において、シナプスと同様の影響力を持っていると考えられています。ニューロンとそれを取り巻くグリアとは、物質代謝や機能の面で共に協調しており、自動制御という観点から言えば、安定な系を形づくっていると言えるでしょう。グリア細胞は種々の分子を運搬することにより、ニューロン中の物質合成に対して影響を及ぼし、安定化させたり、プログラミングをしたり、さらにニューロンが有する電気的性質を調整したりするように思えます(158頁参照)。大脳細胞を維持するために核DNAやRNAを介した通常の蛋白質合成が必要であるのと同時に、学習においても長期間にわたる記憶の形成のためには、脳内の蛋白合成が必須である、と結論づけられました。一方、短期記憶については、長期記憶に付随して、約6時間くらい持続することができますが、この場合はこの蛋白質合成には依存していないようです(159頁参照)。

  学習時には、情報に富んだ変調周波→電場の変化→ニューロン、グリア両細胞におけるメッセンジャーRNAの合成→ニューロン内における新しい蛋白質の合成、この蛋白質によるニューロン-グリア単位での多様な生化学的文化の誘起→共通あるいは特異的刺激に対する応答の完成、という順序で記憶の固定化が行われるようです。記憶の再生時には、特異的電気パターン、ニューロン中の特異蛋白質の存在、そしてグリアからニューロンへのRNAの移動によってもたらされる影響という、個々のニューロンが応答するかしないかを決定している三種の要因が同時に起こっています。これら三種の条件が満たされた時、特異的または十分量の蛋白質パターンを持ったニューロンがゲシュタルト(統一的全体)として刺激に応答するようです(164頁参照)。ホルガー・ハイデン氏の『学習と記憶-生化学的アプローチ』にはさらに詳細に記載されていますので、学習と記憶の相関関係がつかめると思われます。還元主義を批判してはおりますが、私が思うに、科学的な検証をする上で事象を要素に還元することは有用な方法のひとつだと思われます。重要なことは、要素に還元する際に失われているものがあることを認識することです。相互作用という概念の下、全体は要素を足し合わせたものにはならないということです。ある検証結果というのは、ある(指定された)特定な環境という範囲の中で成り立っていることを忘れないことだと思います。