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以前、日本銀行で『「円」の誕生江戸から明治へ』という講義を聴きに行ったことがあります。まず「円」はいつ誕生したのか、その変遷から。現在の円は1988年に制定された「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」によって生まれました。周知の事実として、円の以前には「圓」が使用されています。その圓は1871年の新貨条例によって制定されました。江戸時代には金貨と銀貨が流通されていて、金貨は定型の小判が使用されていたのに対して、銀貨は重さを測って使用していました。三貨制度を取ってはいたものの、実質は金本位制だったそうです。金を主軸にして、銀を補助貨幣として利用していたようです。ペリーの黒船来航後、日本は開国し、ハリスが来日してきました。ハリスは1枚1ドル=天保一分銀3枚の条約を結びます。これは当時の国際的な交換レートからして、日本に不利な交換比率だったのです。国際的な交換レートと違うわけですから、日本で金と交換すればぼろ儲けできるわけです。当然、諸外国から交換が殺到し、日本の金が大量に流出してしまいました。そこで幕府は、品質の悪い金貨である万延二分金を鋳造し、国際的なレートと合致する金:銀=1:15になるようにしたのです。明治時代になり、まず不換の太政官札が発行されます。1868年、関西地方では銀貨が主流でした。それを金貨に切り替えるために「銀目廃止の布令」を発布します。貨幣博物館学芸員の方が、浪花川崎鋳造場の錦絵を見せてくれました。美しい桜が描かれていました。この浪花川崎鋳造場はコンドルの前のお雇い建築技師だったイギリス人のウォートルスが建築したものだそうです。ちなみに、コンドルは日本橋に移転する前の永代橋の日本銀行を建築したとのこと。コンドルも日本銀行建築と深く関係していたのですね。新貨条例によって「圓」が制定され、それまでの4進法から10進法へ変更されました。「圓」を制定した理由は諸説あるそうです。円形だからとか、香港の鋳造機を購入した際、「圓」が刻印されていたからだとか・・・。伊藤博文は当初から金本位制を導入しました。純金1.5g=1円としました。加納夏雄がデザインを担当したようです。しかし。国際的には銀の需要が多く、銀貨メキシコドルも併用していたそうです。1871年に大蔵省兌換証券を発行。1872年に明治通宝札を発行。ドイツの印刷業者が担当したそうです。1881年には「神功皇后札」が発行されます。この神功皇后のお顔が少し西洋人ぽいのです。貨幣博物館学芸員の方が、それはイタリア人のキヨッソーネが事務スタッフをモデルに描いたからという逸話を教えてくれました。1872年に国立銀行条例を制定。渋沢栄一が第一国立銀行を設立しました。1873年に国立銀行紙幣の発行。この紙幣はアメリカのナショナルバンクの紙幣とそっくりでした。それはアメリカの印刷業者に依頼したためだと言われています。1876年に国立銀行条例の改正。正貨兌換制度を廃止し、不換紙幣になりました。国立銀行条例が改正され、規制が緩くなったため、153の国立銀行が設立されました。その後、松方正義は正貨兌換銀行を一元的に発行します。そして大蔵卿に就任すると、1882年に日本銀行条例を公布し、日本銀行を開業しました。『「円」の誕生江戸から明治へ』という講座では、随所に綺麗な錦絵を混ぜて見せながら、丁寧に解説してくれました。とても面白い講座でした。