金子郁容著『ネットワーキングへの招待』という書籍を紹介する。 金子郁容氏著の『ネットワーキング | 松陰のブログ

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金子郁容著『ネットワーキングへの招待』という書籍を紹介する。

金子郁容氏著の『ネットワーキングへの招待』という書籍には情報創造に対する組織のあり方が示されています。

ネットワークというのは、それぞれ確立した「個」が互いの違いを認識しあいながらも、相互依存関係で自発的に結びついたもので、ある種の緊張を伴う関係の中で意味と価値を作り出していくプロセスです(5頁参照)。固有の意思と主体性のある「ユニット」がそれぞれの自由意思で自発的に参加したまとまりであり、メンバーが互いの違いを主張しながらも何らかの相互依存関係を持ちながら結びつき、関係の中で意味と価値を作り出すことを可能にするシステムがネットワークです(8頁参照)。結ばれるものがそれぞれ「違う」ということがネットワーキングの前提です。お互いの違いを認識し、積極的に評価し合い、協力できるところでは協力し、対立するところでは対立しながら、自発性を基本に交流することがネットワークの原則です(9頁参照)。ネットワークは、互いに違うもの同士を引き合わせ、それぞれが互いの知識や技術を補完することで一人ずつではできないことを可能にするシステムです(10頁参照)。この補完機能が実効を持つことを可能にしているのは参加者全員が遵守することになっているいくつかのルールの存在です。ネットワークは参加者が主体性を持ち、自由意思で各自の目的を追求するための仕組みですが、これは各自が全く勝手気ままにやっていいということではありません。逆に、全員の合意に基づいて作られた最低限のルールがあってはじめてネットワークがシステムとして機能します(26頁参照)。人や企業のネットワークには二つの対照的なタイプがあります。一つは、全体の目的をまず設定し、その達成のためにメンバーの役割分担を決め、メンバーがその役割を果たすように規制や罰則を作ることでメンバーを統制します。このような原則を基盤にするネットワークを「統制型ネットワーク」と呼びます。もう一つが、メンバー各自がネットワークに属すことが自分にとって何らかの利益に繋がるということを自主的に判断して、メンバーの参加の原則で構成されるネットワークを「参加型ネットワーク」と呼びます(30頁参照)。金子郁容氏著の『ネットワーキングへの招待』という書籍で奨励しているのは、当然、後者の「参加型ネットワーク」です。

経済活動の基本は需要と供給を結びつけることです。時代の変遷と共に次第に複雑で精巧な結び付け方が必要になってきました。消費者が何を欲しているかを知った上で生産することが要求される時代が到来しました。企業は、できあいの情報でなく、生き生きとした自発的な生活情報を求めるようになってきたのです(60頁参照)。情報とは、「様々な表現形態をとり、発信者から受信者へ何らかの意味を伝えるもの」です。ここで、表現形態とは符号、言語、記号、身振り、表情などです。受信者に「意味が伝わる」とは、受信者が自分なりに何かしらの意味を認識することであり、それをもっと具体的に言うと、「(受信者の)内部状態に何かしらの変化が引き起こされる」ということです。内部状態と言っているものには、色々の内容がありますが、例えば、「感情の状態」、「知的状態」、「判断に関する状態」、「好奇心の満足に関する状態」などが主なものです(124頁参照)。情報は、情報の「発信者」と「受信者」がいるということを前提にして、その間の意味伝達のプロセスに関連して定義されています。そのプロセスは、発信者の持つ「意味」に始まり受信者の認識する「意味」に終わります。それら二つの「意味」を繋ぐものが、ある特定の表現形態を取った「情報」です。発信者と受信者を結ぶ線の上を流れるものが情報です。情報の発信者の機能は、伝えたいと思う「意味」を何かしらの形態で表現することです。この機能を「変換」という言葉で表し、情報を発信するということを、「意味」を「表現形態を持つ情報に変換する」ということにします。一方、情報の受信者の機能を「逆変換」という言葉で表します。受信者は、送られてきた情報を逆変換して、受信者なりの意味を認識するのです。情報の定義で特徴的なのは、情報というものに「表現形態」と「意味」という二重の構造を持たせているということです。形態は一種の形式ですから、情報を表現形態と意味を分けることは、情報を形式(シンタックス)と意味(セマンティックス)に分離して考えることです(126頁参照)。

情報の分類は、情報が「ハッキリしている」かどうかという基準で分けられていますが、あるものがはっきりしているかどうかということが何を意味するのか突き詰めて考えると、結局、そのものが他のものと区別できるかどうかということについての約束が成立しているか、ということであることに気付きます。つまり、「そのもの」と「そうでないもの」の境界が歴然としているかどうか、ということです。「境界がある」ということの最も単純な表現は「0と1で表せる」というものです。よく知られている通り、「ハッキリした」情報を扱うコンピュータの中では、全ての情報が0と1のバイナリーコードで表されています。コード化できる情報を「コード情報」と呼び、コードでは表しにくいもの、その雰囲気、やり方、流儀、身振り、態度、香り、調子、感じなど、より複雑に修飾された情報を「モード情報」と呼びます。モードとは、様式であり、ファッションでいう「モード」でもあります。楽譜、コピー用紙に黒いエリアとして記された字、アンケート調査の数値結果、車の設計図、学者の論文の数、インタビューで人が喋ったこと、POSデータ、はそれぞれコード情報です。その他に、記号、数字、コンピュータプログラム、アルゴリズム、言葉、シンボル、グラフもコード情報です。それに対して、モード情報は、その情報と周りの情報との区別がつかないもの、つまり、何がその情報なのか、と聞かれた時、これだとはっきり言えないものです。名曲を聴いた時に湧きあがる「想い」、筆で書かれた字から漂ってくる「香り」や字の「勢い」、車の「表情」、人の「品のよさ」、インタビューされる人の表情からほとばしる「熱意」、お客のちょっとした仕草からそこはかとなく伝わってくる「気分」、相手がどう出るかについての「感触」、会場の「雰囲気」、講義の「手応え」、人柄の「暖かさ」は、それぞれモード情報です(130頁参照)。コード情報とモード情報との区分は金子郁容氏著の『ネットワーキングへの招待』という書籍の核をなす概念です。情報を形式(シンタックス)と意味(セマンティックス)に分離し、それぞれをコード情報とモード情報に分けたのです。コード情報とモード情報への区分が情報というものの特性を端的にあらわしています。

企業は情報の特性を活かし、現場にあるモード情報をコード化して、適応していくことが求められます。情報を企業活動に活かすために、どのような組織が必要かを説いたのが、金子郁容氏著の『ネットワーキングへの招待』という書籍です。やはりこの書籍で特筆すべきは、コード情報とモード情報という情報の分類からみた情報の特性を述べている点だと思います。