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注・以前、「科学と仏教の接点Ⅶ・量子力学的世界像」という講演を聞きに行きました。講師は、某大学の細谷暁夫氏と某大学の佐々木閑氏でした。某大学の細谷暁夫氏と某大学の佐々木閑氏を始めて見ました。正直、よく知りませんでしたが量子力学に興味があったので聴講しに行きました。講演では、ヤングの二重スリットの実験の説明をしていました。光が粒子であり波動であることを実験で証明していました。光が粒子であり波動であることは、山田克哉著『アインシュタインの発見』にも詳細に記載されています。光子裁判という比喩を使い、光の特性を紹介していました。ウィルソンの観察箱やモダンな実験によって、測定しないと干渉縞が有り、測定すると干渉縞がないという実験結果を得ました。干渉縞があるということは波動を意味しています。ここから光の粒子と波動の二面性が求められました。そして測定するまでの中間状態についての情報が重要だということです。ボーアは因果性の放棄を言っているそうです。因果性を追求するよりも原子や分子の理論の精緻化を最優先すべきだと考えていたようです。ボーアに関しては、プリゴジン著『混沌からの秩序』の中でも頻繁に出てきます。細谷暁夫氏は因果律の放棄に関して否定的でした。私も同感です。細谷暁夫氏曰く、量子力学は、まず事実があり、それを実験によって整合性を得る学問のようです。私は科学である以上、因果律は重要であるように思えます。融合による反応や可換に近い法則性を発見することが科学の役割だと思っています。法則性とは、結局は因果律であり、科学とは事象を観測し、その因果関係を見つけ出すことだと思います。

アインシュタイン、ボドルスキー、ローゼン達は、EPR論文で量子力学の波動関数による記述が不完全であることを主張しました。先ず、「物理的実存があれば、理論の中にそれを対応する要素が書かれていなければならない」を大前提としています。そして、物理的実存をその値が100%確実に得られて、かつその測定により系が乱されていない」ものとしています。系とはシステムのことです。アインシュタインはボーアに「量子力学、敗れたり」と言い、波動関数による記述が不完全を証明するために、仮定を立て、背理法で証明したようです。物理的実存をその値が100%確実に得られるには、局所性が重要になります。局所性とは、遠く離れた系の状態には物理的影響が及ぼさないということ。つまり、影響が及ぼされなければ、素の個々の状態を測定できるということです。局所実在性を証明したようです。q(1)+q(2)=0。故に、q(2)=-q(1)。q(1)を測定すればq(2)も分かると主張しました。その前提は、粒子2は粒子1から充分に離れていること。p(2)は実存であるからです。そのことに対抗し、ボーアはアインシュタインの誤りは、局所性にあるということだと指摘しました。量子状態は粒子1と粒子2の全系を一体として定義される。つまり切り離せないということです。非局所性(エンタングルメント)を証し、アインシュタインの主張を否定しました。また、不確定性原理についても触れていました。不確定性原理はレイ・カーツワイル著『ポスト・ヒューマン誕生』内でナノテクノロジーの箇所に記載されています。それから、光よりも速いニュートリノの発見の話題にも触れていました。細谷暁夫氏自身はその情報が正確なのかどうかを静観する立場を取っていて、そのことの真偽については述べませんでした。先の山田克哉著『アインシュタインの発見』の中にも、光の速さは一定(秒速30万キロ)で、質量を持つ物体が得られる最高速度は光の速度以下だと記載されていました。この話題が本当だとすれば、量子力学に新たな展開が起こるかも知れません。

EPR相関(ボームバージョン)の説明もありました。ベルがスピンの間の相関の強さを検証しました。量子マニュアル(コペンハーゲン解釈)への解説。①重ね合わせの原理、②シュレーディガー方程式、③観測公理(波束の収縮と確率解釈)、④多粒子状態を紹介していました。興味深かったのは、ボルンの確率解釈の話でした。ボルンは論文の脚注に確率論のことを記載してノーベル賞を受賞したそうです。アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言い、ボルンの確率解釈を嫌った話をしていました。私個人としては、確率論的な考え方を重視しています。決定論的な世界観よりも確率論的な世界観の方が現実に即しているように思えるからです。

細谷暁夫氏は、どのような測定をするつもりの物理量の値かという、測定の文脈を与えれば、物理量の測定以前の値も定義できて実験的に検証できると述べていました。観測していない時でも月は存在します。文脈から存在や値が測定できるということは、測定していなくても光の波動性があることに繋がる論理のように思えました。干渉縞を文脈から推定して波動の性質を導き出せるということです。

※この講演を聴いた後、光よりも速いニュートリノの発見は間違えであることが報じられました。